2009年10月25日
神様の通り道
東京では右側を空け、関西では左側を空け。
この時勢でも世の中平和なようで、一部では賑わっている話題である。
エスカレータの乗り方である。
急いでいる人の為空けるのがマナーだそうだ。
急いでいるならば階段を駆け上れ、それがマナーと言うもんだ野暮な輩め!。
鳩山さんの夫婦お手てつないで一緒に乗れないテなもんだ。
神社参拝の作法がある。
参道の中央は神様の通り道であるから、道の端を歩くである。
日本では戦前までは人は左側通行であった。
昭和30年代から40年代頃まで、駅とか公共施設などでは左側通行の注意書きが掲示してあった。
占領軍下で.右側通行に変更されたが、そこかしこに左側通行は生きていた。
その後、それらも右側通行に変更になった。
昔、といっても昭和40年代頃までと比べ、人混みの往来の中では歩きにくくなったように思う。
行き交う人の流れが自然と左右に分かれていたようであった。今は対面でぶつかりそうになる光景によく出くわす。
昔は通りの真ん中を空けるというのは神社の参道だけでなく、普通の道でもそれが当たり前であったのではないか。
昔の人の知恵であったのかもしれない。
何故昔は人が左側通行なのか。
刀を差した武士がすれ違う際に互いの鞘が当たらないようにする為とか、聞いた事がある。
それを知るよりも前、子供の頃であった。
人は右側通行なのに、駅などでは何故左側通行なのかと祖母に聞いたことがある。
明治の初めに生まれた祖母の答えは、幼い私にも十分理解できるものであった。
「人とすれ違う時刺されても、心臓を守る為」
昭和30年代に起きた「刃物を持たない運動」以前のことである。
伊勢の宇治橋を始め、神社の木製の橋は中央分離様に中央に板が設置してあったと思う。
神様の通り道なのかもしれない。
この時勢でも世の中平和なようで、一部では賑わっている話題である。
エスカレータの乗り方である。
急いでいる人の為空けるのがマナーだそうだ。
急いでいるならば階段を駆け上れ、それがマナーと言うもんだ野暮な輩め!。
鳩山さんの夫婦お手てつないで一緒に乗れないテなもんだ。
神社参拝の作法がある。
参道の中央は神様の通り道であるから、道の端を歩くである。
日本では戦前までは人は左側通行であった。
昭和30年代から40年代頃まで、駅とか公共施設などでは左側通行の注意書きが掲示してあった。
占領軍下で.右側通行に変更されたが、そこかしこに左側通行は生きていた。
その後、それらも右側通行に変更になった。
昔、といっても昭和40年代頃までと比べ、人混みの往来の中では歩きにくくなったように思う。
行き交う人の流れが自然と左右に分かれていたようであった。今は対面でぶつかりそうになる光景によく出くわす。
昔は通りの真ん中を空けるというのは神社の参道だけでなく、普通の道でもそれが当たり前であったのではないか。
昔の人の知恵であったのかもしれない。
何故昔は人が左側通行なのか。
刀を差した武士がすれ違う際に互いの鞘が当たらないようにする為とか、聞いた事がある。
それを知るよりも前、子供の頃であった。
人は右側通行なのに、駅などでは何故左側通行なのかと祖母に聞いたことがある。
明治の初めに生まれた祖母の答えは、幼い私にも十分理解できるものであった。
「人とすれ違う時刺されても、心臓を守る為」
昭和30年代に起きた「刃物を持たない運動」以前のことである。
伊勢の宇治橋を始め、神社の木製の橋は中央分離様に中央に板が設置してあったと思う。
神様の通り道なのかもしれない。
2009年10月17日
下らない話
下らない洒落などのように使う『下らないは』酒から来ている。
京都へ上洛、江戸へ下ると言われていた江戸時代のことである。
灘など関西の酒は旨いといわれ重宝されていた。
当時江戸へは殺菌作用のある杉の樽につめられ船で運ばれた。
波に揺られ樽の中でこなれた酒は一味もふた味も旨みを増した。
それに比べ江戸の酒はこなれる事も無く、詰まらない味であった。
そこから詰まらない事を、下らないと言われるようになったそうだ。
最近の話題の中で詰まらない事を思いついた。
警視庁に野球部が出来るそうだ。
只、大きな悩みがあるそうだ。
盗塁である。
警察の旦那、お上自ら盗みはよしやしょうや。
京都へ上洛、江戸へ下ると言われていた江戸時代のことである。
灘など関西の酒は旨いといわれ重宝されていた。
当時江戸へは殺菌作用のある杉の樽につめられ船で運ばれた。
波に揺られ樽の中でこなれた酒は一味もふた味も旨みを増した。
それに比べ江戸の酒はこなれる事も無く、詰まらない味であった。
そこから詰まらない事を、下らないと言われるようになったそうだ。
最近の話題の中で詰まらない事を思いついた。
警視庁に野球部が出来るそうだ。
只、大きな悩みがあるそうだ。
盗塁である。
警察の旦那、お上自ら盗みはよしやしょうや。
2009年10月11日
鳩

埼玉県に東松山市がある。 関越自動車道東松山ICの在るところだ。
その外れに「原爆の図」で有名な丸木美術館がある。
閉館間際の誰もいない館内でその絵を見ることは、少し腹を据えなければならなかった。
そこより山を一つ越えたところが近頃話題の鳩山町である。
その境のクネクネした峠道が、少しいけないスピードで、助手席の上で元ヤクザの取引先社長をコロコロさせた道である事は、埼玉県人よりも裏道を知っている岐阜県人と一目置かれていた頃の話である。
そんな事は置いておいて。
鳩山町には宮仕えの頃取引先があった平成の初めのころである。
町の外れの山の中で、集落の一番奥であった。
その奥の山の上に巨大なパラボラアンテナが2基あった。
何かと聞くと「気象衛星の画像を受信する物。」だそうだ。
電波障害の少ない星空のきれいな山の中で一夜を過ごしたことがある。
深夜まで型屋とのバトルの日、少し離れた川越市で泊まる事にしたが、日付けの変わった深夜に薄汚れた作業服の飛込みであり「本日は満室でして・・・。」
どの道、朝一でその取引先に乗り込まなくてはならず、ええい面倒と引き返しその取引先の前のテラノホテルをやる事にした。
まだ4WDが今ほど一般的でなかった頃、日産んのテラノを専用車として遣っていた。
それには洗面用具とペットボトルの水を常備していた。
型屋を含め時間に関係なく急襲するためであった。そのため何処でも仮眠が取れるようにであった。
何時しか自他共に「テラノホテル」と称するようになった。
その朝、あぜ道で歯を磨き、ペットボトルの水で顔を洗っているところへ、そこの社長がやってきた。
「いや!千葉からもう到着ですか、何時に出られたんです。」「いや!自然の中で夜中から待ってました。」
顔は困った人だ!の表情。
本当に自然豊かなところであった。
先日、再訪した。
地図検索での空中写真であった。流石にそこまでの周辺道路は劇的に変化していたが、件の所は全く変化がなかった。
今ではいい思い出の地である。
この町を訪れるとき、あの鳩山家と何か関係があるのかと短絡的に思ったことがある。
鳩が来た。
昨日玄関を出たところで、門扉の上に鳩がとまっていた。
時折庭に来る山鳩である、宙返りしてくれば鳩山である。
あまりに唐突ではあるが、悠然とした姿に静かに鞄の中のカメラを取り出しシャッターを切った。
暫くそのままにしておこうかと思ったが、その直後を通らなければ車に乗れないため動いた、
その瞬間飛び去っていった。
なにか心がウキウキした一日の始まりであった。

