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2008年09月26日

流石 お嬢様大臣

私から見ればまさしくお嬢様大臣である

テレビがが事のすべてを報道するわけでもなく、更にそれを全て視ているわけでもなく、
断片的に見聞したことを基にして書くので間違っているかもしれない。

小渕優子少子化担当相就任挨拶というか訓辞の第一声
満面の笑みを浮かべ
「私ごとですが、子供が1歳になりました。」とか
自ら少子化問題に貢献しているというアピールであったかもしれない。

しかし待てよ
すぐ隣の千葉県では子供が悲惨な事に遭って、まだ犯人も分からない最中である。
つい先日は福岡で子供が悲惨なことに遭っている。

一国の大臣が満面の笑みを浮かべ私事を言う前に、今起きていることに向かいそれを第一声と出来なかったものかと思っている。

全員で黙祷を捧げる事までは望まないが

あ、そう! あなた達とは違うんですなんて感覚でやって欲しくないと、
幼い孫を持つ者として思うのである。


その一声後の訓辞はどれだけの人が真剣に聴いていただろうか興味あることである。
親の地盤を引き継ぎ何の苦労もなく地位を築いたお嬢様には、目の前の人達の頭の中にお祝いの文字が渦巻いている、それがごく普通のことなどとは想像外のことであろう。

立場によって言ってはいけないことの弁えも多分難しいのでは。

第一声は、大きな失言のようにも思える

庶民レベルの経験のない者に絶対にそれが分かるはずもない。  

Posted by anagura at 22:44Comments(0)重箱の隅をつつく

2008年09月23日

彼岸の出来事

暑さ寒さも彼岸まで

時刻は分からないが、床についたのは日付が変わってからであるので今日のことである。
冷えたときのように急に背中が痛くなり目が覚めた。

未だエアコンなど無い家、夏場は素っ裸で寝ていた。
今年は蚊の心配が無く快適であった。
しかし例年と異なり雷の多い夏であったが避雷針は勃つ事もなかった。

流石に秋であり毛布を掛けて寝ていたが、気づいたときははだけていた。
しかし背中が痛むような気温ではない。
横の家内に声をかけた

「背中が冷えて痛いんだ」
家内は目を覚ましていた
「さっき、冷たい風が吹いっていったの、締め切って何処からも風など入ってこないはずなのに変な風だった。」と言った。

仏壇のある部屋に寝ている、寝るときは襖を閉めるので仏壇は見えない。
風はその方向からで、風が通りすぎた毛布から出していた家内の手はその正面であり、私の背中も同じ位置である。

「又、おじいさん(父のことである)が来たのよ」
親父が亡くなってから随分経ってから、月命日直前など些細なことであるが色々と起こる。

その頃口をついて出てきた言葉がある
『年毎に 恨み消えゆく 七回忌』自分の中の変化であったと思う。

実際のことは分からないが、其処にいてくれると言う気分で不思議なことに怖くはない。

生前から親父にとっては心許ない息子夫婦の私たち、まだまだ心配なのか。
それとも59歳で逝った母、30数年も待たし邪険にされているのか。


仕事を終えた夕方墓参りに行って来た。
行く前に家内曰く「おじいさん連れて、帰してくる。」

今度は何時、どんな方法で来るのか。  

Posted by anagura at 19:05Comments(0)hibi

2008年09月21日

Oh no の豆腐

まだまだ冷や奴が抵抗のない秋である

缶ビールの晩酌で半丁のの豆腐をつついていた。

半丁をおかずに食べていた家内。
「豆腐の味が変?。」
言われて確かに以前より口触りも変である。

「ここ数日前より腐っていないけど何か、変?。」と気づいていたみたい。

近くのスーパーマーケットで売っている1丁45円、普通の物の半額程とか。
「変えようか。」
ポツリといった。

この時勢である、普通の半額の価格を維持する事はかなり大変なことのはず。
価格を上げるのか、品質を落としても安い材料で価格を維持するのか。
生産者の苦悩が見えるようであった。

物は違うが物作りに携わる人間として、食べることなくつつきながら
「ああ!」と気のない返事をした。

次からは倍以上の贅沢である
メーカーとしては我が家は何千分の一か何万分の一かのお客であろう。
しかし、確実に一軒のお客は逃げたのである。

怖いことである
  

Posted by anagura at 18:01Comments(0)モノヅクリ

2008年09月17日

トイレのお節介

過日我が家で珍事が発生した
尾籠な話である

その休日の朝いつもより少し遅い時間に起き、いつものようにトイレに行って便座に座った。
男が座って小便をするなどこの家では通用しない、汚れるからなどという言葉には「だからお前が居るんだろう、拭きゃいい」などと言われるのが分かっているから何も言わない。

ただ最近は「しっかり持ってして、何時も的を定めれなくなってきているから」何時もが意味深な冗談である。

であるから大便である。。

脇のトイレットホルダーの新しいロールの先端が、何の風の吹き回しか三角に折られているのに気がついた。
結婚以来初めてのその光景が我が家の珍事である。
今は二人だけの生活、そして来客の予定もない、そんなことをする必要もないことである・

その時、思考回路は暴走していた。
そんな馬鹿なことを考える必要はなかったが、そこまでへの行程を考えていた。
家のことで考えても仕方がないことで、ごく一般の状況下でのことである。

そこには驚愕の事実があった。

つまりトイレットペーパーを使用後三角折りにするまで、手を洗う行程がないことである。
つまり一般的な場合、一番手が汚れた状態で、次の人にたいして三角折りがなされると言うことである。

まさに小さな親切、大きなお節介である。

依然、北欧に住んでいた川上麻衣子という女優が、日本人の三角折りにする行いが理解できないと言っていた。
三角折りは清掃が終わっていることを示すもので、トイレ使用者がすることではなく、特に客として訪れた他家でのその行為は、非常に失礼なことであるというような内容であった。

結局久しぶりの休日は、朝から馬鹿げたことでいい雰囲気で始まった。

このトイレにまつわる話には第2弾がある
その話は女性にとって驚愕な事実で、人によっては普段の生活に大きな支障を起こさせかねない現代の事実である。  

Posted by anagura at 22:03Comments(0)どうでもいいが

2008年09月11日

江戸しぐさ

過日の24時間テレビ、113㎞マラソンのエド・はるみのことを書いた
その数日後久しぶりに図書館へ行った
最近の若者向きの情報誌の体裁を知るためが目的であった

あまりの内容の薄さに借りる気にもならず、いつものように各種の書架を見て回った、
一冊の本が目に付いた。
「絵で楽しむ江戸のことわざ」時田昌瑞著、東京書籍出版である。
パラパラと見て借りてきた

最初の10ページほどは精読した、それからはことわざ部分だけ。
今は気になることわざ部分の拾い読みで、未だ260ページ程の1/3程度まで。

この手の本は頭から精読するより時間をおいて拾い読みする方が面白い。

最初のページで無知を知らされた
「負うた子に教えられる」ここまでで覚えていた
「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」が正しいとか。

拾い読みで
「子を捨てる藪はあれど 身を捨てる藪はなし」
「二十後家は立つ 三十後家はこける」

挿し絵は江戸時代の書物からの転載が多い、その分滑稽な物がある。
「一人娘に 婿八人」この項の挿し絵は
松茸が(勿論未だ傘が開いていない物、あえてただし書きすることもないか)八本円形に並べて描かれているのみである

図書館から帰り、作業机の脇の冊子が気になりパラパラ。

この冊子、数日前に開け放って仕事をしているときに声をかけ置いて行かれたものである。
時々郵便受けに入っている冊子で、早起き会などという団体の本である。
「早よう起んかい!」の人間には少し縁とおい団体である。

宗教含めその手のことには全く興味が無く、置いて行かれる冊子の殆どは見ることもなく、廃棄するのが何時もである。
その日は、何の風の吹き回しか手に取った。そしてその中で一つの言葉に出会った。

「江戸しぐさ」という言葉である。
一通り読み、あることに結びついた。
読売新聞のCMであったと思うが、昭和初期や江戸時代を中心とした、淡いタッチのアニメーションで、道の譲り合いなどをさり気なく伝える内容の物である。

早速ホームページを検索、CMと同じ様なイラストが出てきた。
ホームページには江戸しぐさについて次のように書いてある

江戸しぐさ」は、江戸商人のリーダーたちが築き上げた、上に立つ者の行動哲学です。
よき商人として、いかに生きるべきかという商人道で、人間関係を円滑にするための知恵でもありました。



エチケット、マナーなどと外国のものではなく、日本人の生活の中から出来てきた方法に、目を向けるのも一興かとも思っている。

「江戸しぐさ」HPアドレス
http://www.edoshigusa.org/  

Posted by anagura at 21:51Comments(0)なんとなく

2008年09月09日

大相撲 大麻ごと

どうでも良いことではあるが
個人的に興味在ることである

今回の大相撲大麻事件
相撲界のトップである理事長が、検査結果に対し何故あれだけ科捜研での再検査に拘ったのか

思い過ごしの邪推をする
世の中ではすでに過去のことである
犬山での新弟子暴行死事件は、警察の捜査で闇の中になるところを、民間機関に寄って明るみになったことである

当時は過去の相撲部屋での弟子の死亡についての報道もあった記憶がある

あの拘りの言葉に大麻事件より、もっともっと深い闇がありそうなことを感じた事件である
  

Posted by anagura at 08:25Comments(0)どうでもいいが

2008年09月07日

富加町加治田 父の原点

先週の日曜日富加町の加治田へ行って来た。
6月の中頃私の周りで加治田に関する出来事が3件ほど起きた。

その後多忙になり時間が無くなり、そのことに関しては横に置いておくことにした。

特番でいつも視る番組が流れたことを直前に知り、ぽっかり予定ががあいてしまったので、思い切っていくことにした。

隣町である富加町の北の方に加治田ある。
その近くの道はよく通り或交差点を右に折れわずかな距離の所にあるが、何故かハンドルを右に切ることはなかった。

出来事の1件は加治田にある松井屋酒造、ここの資料館を訪れることであった。
各務ヶ原の航空宇宙博物館で復元展示してあるサルムソンという複葉機の尾翼とプロペラと川崎で作っていた飛燕という戦闘機のタイヤが展示してあるからである。
それとサルムソンの尾翼図のコピーも展示してあるからである。
図面は教本からのコピーで原本は前述博物館のガラスのケースに収め展示してあるそうだ。
特にその展示物には興味がない、47ページからなるその本と同じ物が手元にあるからである。

飛行機の部品は付け足し程度の物で、その他の酒造関係の道具、昔の農機具、昔の生活用品などが、そこらの博物館もどきは足元にも及ばないほど、只展示してある。あくまでも只展示である、私にはそうとしか見えなかった、だから面白かった。
入場料300円ご主人の案内付きである。

2件目の出来事は、加治田は我が家にとって縁深い土地である。
叔父の処へ養子として貰われてきた父が生まれ、5歳まで育った土地である。
現在は全く縁がない土地でもある。

古い戸籍で家のあった絹丸という場所はnetの航空写真で確認していた。
松井屋酒店の件の時改めて戸籍を見ていて、兄弟達の出生地番地が家であるが親父だけが番地が違っている事を発見した。

地図で改めてその番地を検索すると、驚いたことに松井屋酒店と道一つ隔てて2軒ほどの所であった。

何らかの理由から医者か産婆さんのところで生まれたと推測、それを確かめる事であった。

郵便局のそばの小道を突き当たりまで行って驚いた。
学校跡と思われる場所が在った。
現在は合併で違うところに学校は移ったようだ。
旧加治田小学校の場所も探す予定にしていた。
昭和10年代に教員をしていた父が何年か勤めていた学校で、当時の古い写真が父のアルバムに残っている。

通りで出会った地元の人に、この辺りに医者か産婆さんが無かったかと訪ねた。
今は余所に移られたが、そこが医者だったと指さされた所は、学校の正門より小道を隔てたところであった。

父の原点の地に立てたと言うことは或意味幸せなことであると感じた一時であった。

その後訪れた松井屋博物館でガラスケースに収められていた古い帳簿の中に、明治43年の表書きのある物を見つけた。
この帳簿が使われていた時、道を隔てた近所で父が生まれていた。


3件目は大八文庫の次回9月14日の講座内容が加治田出身の木村小舟(ショウシュウ)についてである


松井屋酒造
http://homepage2.nifty.com/matsuiya-sake-musium/index.html
大八文庫
http://www.geocities.jp/kasamazya/daihati.htm  

Posted by anagura at 10:56Comments(0)hibi

2008年09月01日

何となくTV エドはるみ

今年も24時間テレビ。、
昔と比べ馬鹿馬鹿しさが無くなり興味が無くなった
特に誰に対しても子供扱いの喋りの爺さんが出だしたあたりから興味が薄れた。
芸風だから仕方がないかもとは思うが 、個人的な見方である。

それでも何気なく見ていたが、出演者は別にしてお涙頂的に気が滅入ってしまった。
脳性小児麻痺、今では筋萎縮症だと思うが当時は病名がわからず20代半ばで逝った
兄と姉がダブってくるからでもある。

エドはるみのゴールの瞬間を見た。
今までのゴールシーンで初めてみる光景であった
テープを後ろ姿で切る姿である

昔の芸人の話の中に「客に尻を向けるな」がよく出てきた
今では平気で尻を向ける芸人の光景をよく見る
その光景が、私には「芸人」と思わせた

物には尻がある場合が多い
「客に尻を向けるな」客にではないが
古い者にとって最近特に気になることがある

私の家は決して良家でもなく、行儀作法を重んじた家ではない、ごく普通の家庭であった。
祖母は明治の前半に生まれた人であった
箸の持ち方は教えられたが、それ以上に箸の尻を対面している人に向ける扱いには五月蝿かった。

最近、食べ物のレポート番組などを見ているとよく相手に尻を見せる扱いを見る

具体的には寿司を手づかみで口に入れる仕草で、寿司を箸で掴んだ状態である
箸の尻は相手の方に向くはず

それでもその仕草が腕だけならまだしも、肩を前に回り込ませる若いレポーターの仕草を見るとき、きちんとした部屋、女将、板前、豪華な料理が何だか・・・・・である

更に口に入れたとたん「うん、うん」と発する声が続くと尚更幻滅である
遙かに縁とおい豪華料理への僻みは多分にあるが

テレビである「うん、うん」などより別の表現が無いものか
数年前のことである、演技派であると評判のkという女優と、当代きっての人気若手女優N(別表現999.9999999999)が朝の生番組でカレーライスを食べることがあった。それが演技であることはすぐ解った。
後ろの司会者、スタッフが本当に美味そうに頬張る様は二人の演技が到底及ばなかった

自分のことは棚に上げて物を言う性格であることは自覚している

またも話は逸れ
尻切れトンボの様である

今、総理の辞任の記者会見を見ていた
な~んか、尻切れトンボ


数字の羅列(極めて1000に近いでしょ)  

Posted by anagura at 22:27Comments(0)重箱の隅をつつく