2009年01月05日

ロートル61より62へ

年々正月気分も薄くなる
家内の親に年(ねん)をとりに行くこともなくなった今年は尚更である。

昨年九月の眼科受診の日より絶っていた酒、元日の日に形ばかり呑んだ。
いつもの正月の準備と異なり、酒を選ぶ執念も薄れた。
燗をつける日本酒をと探したが一升詰めしかなく、仕方なく冷酒の小瓶を買った。

久しぶりに富山の酒「銀盤」、愛飲は県内笠原町の「三千盛」であるがこの酒に時折浮気をする。
昔、柳ヶ瀬のスナックのママに「この酒美味しいよ」と教えられた酒である。

息子の家族が来た、食事時の昼からの酒である。
「この酒旨い!」どうやら少し酒の旨さが分かりだしたようである。

私が日本酒を飲み始めた当初は親父の呑む羽島の「千代菊」であった。
親父の酒の趣向は引き継ぐようである。
何時しか親父の酒から自分好みの酒に変わったが。

今日は誕生日、このブログのタイトルをロートル61よりロートル62に替えた。

もう一つのHPである中山道太田宿関連の記事を半年ぶり以上経ってようやく更新。
以前から内容はかたまっていた。
太田宿には本陣間取り図が残っている。これを詳細に見ると意外なことが見える。
古文書などの専門家ではなく、恐らくその様な方とは全く違う目線からの解釈である。

その為か全く別の手法を使い、未だ判読されていない文字を解読している。未だ最初の一歩でこれから徐々に書き込む予定である。
後はPC処理の時間が取れるかである。

興味のある方は次のアドレスへ
http://www.geocities.jp/kasamazya/index.htm  

Posted by anagura at 19:18Comments(0)hibi

2009年01月02日

温暖化と糖尿病

昨今血糖値を気にする人用に様々な商品が発売されている。
それらのCMを見るとき、それに依存したがため手遅れなどの重大な症状に陥る心配があるように思っている。

しかるべき専門医の指導の上でなければ、其のコントロールは難しいと自分自身の経験からの思いである。

以下は全くの素人の考えである。
先回の白内障に関する書き込みで、体を冷やした後に症状が進んだと記した。
私の場合、それは糖尿と連動していたように感じていた。

退院直後のTVで腎臓病に関する番組をやっていた。
その中で成長期の悪い栄養状態で少ないカロリーで維持できる省エネタイプの体が出来ると言うことに触れていた。

私の場合昭和22年と未だ食糧事情の良くない時期生まれと共に、子供の頃の家庭の経済事情によりそれに該当する体であるのかもしれない。

昭和40年代初めであった。アイスクリームのクリスマスケーキが売り出され、物珍しくブルブルとふるえながらストーブの近くで食べたことが記憶にある。
当時アイスクリームなど夏場の物で時期を過ぎれば店頭から消え去る物であった。

野菜には夏野菜、冬野菜があり、夏野菜は体を冷やし、冬野菜は体を温める性質を持っている。
今ではそれら食物の時期というものが無く、年を通して食卓に並ぶ。

夏場、エアコンを利かせあまりの寒さに布団を被って寝たなどと信じられない事を聞いたことがある。

昭和中頃と比較し今では体を冷やす機会が非常に多くなってきている。

蛙や蛇や熊など冬眠中は低体温で体力を温存する。人間とてそれらと同じ動物である。
現代人は徐々に省エネタイプに成りつつあるのでは無いかと感じる。
それに関わらず摂取カロリーは変わらない。

これから益々温暖化が進み一日の大半をエアコンの冷気の中で過ごす時間が多くなりる。
人間基準でなくコンピューターなど精密機器維持の機械主体の中でである。

それが素人考えの温暖化と糖尿病の増加である  

Posted by anagura at 10:36Comments(0)血闘記

2008年12月31日

羨ましい ジャンボ宝くじ

今年の後半は入院続きであまり良い年ではなかった。
只もう少し医者に行くことが遅れていたなら、大変なことになっていたので、それは仕合わせな事であったと思うことにした。

仕事場の近くに有名な平川宝くじ店がある。
今日の午後、仕事場へ行ったついでに其の店の前を通って近くのスーパーマーケットに家内と行った。

宝くじ売場は休みでシャッターが閉まっていた。
シャッターには貼り紙。

年末ジャンボ宝くじ 1等 3億円この売場で出ました。

にこにこ顔で正月を迎えられる幸運な人、羨ましい限りである。

期間中沢山の人出であった。
次の売り出しでは一層多くなることだろう。

羨ましい、羨ましい、羨ましい  

Posted by anagura at 17:59Comments(0)

2008年12月30日

白内障 前兆

先日のことである。
千葉の知り合いから突然電話があった。

私より三歳ほど下の人で、会社勤め時代の外注の担当者である。
三〇年ほど前からの付き合いで、今はお互いに個人としてつきあっている。

仕事で来岐の際会社での仕事の打ち合わせの後、柳ヶ瀬で更に深く本音で打ち合わせを繰り返していた、それが今でも付き合えている。

電話の用件は、10月に糖尿病治療で入院中していたとき病院から便りを出した。
「今日、眼科へ行って白内障だと診断された。」との事。
私と同じく糖尿の気があるそうだ。

手紙で知った私の病状と同じ様で心配になり電話をしたと言うことである。

眼科へ行ったのは視力に急に変化が出だしたからだそうだ。
これは私も同じ事であった。
かすかな白内障の気があると診断されたのは8年ほど前のことであった。

その後も気になる視力異常は無かった。
実際は進行していたのだが、それは誰にも起こる年齢的なものと思っていたのである。

それは今から思うと、寒冷期の屋外作業、夏場の人間主体ではなく精密作業のための冷房が利いた室内作業などの環境下、つまり体を冷やした時急激に進行した。

急激に視力の障害を感じ始めたのは数年前からであった。
それは深夜までの作業、ストレスなどによる糖尿病の悪化と連動していたようである。

それに気づいたのは、運転中に春でも無いのに風景が春霞がかかったように見えだしたことである。
只その時はその様な天候と思っていた。
しかし数日も同じ様であり流石に横の家内に聴いた「今、靄か霞がかかっているか?。」

答は「何もないよ。」であった。

その後日没に向かい帰宅するとき、それが曇りであろうが耐えられない眩しさを感じるようになった。
それは徐々に日差しの強い昼間でも感じるようになった。

幸い左目だけが悪化していたので何とかなっていたが、右目もかすかに異常を感じるようになった。
運転は、通り慣れた道と太陽の角度、天候の状態を考え、何時も家内と一緒に行動をした。家内は運転免許を持っていないが、目は年齢に比較し良いので。前方の状況ををお互いに確認しながらであった。

一番困ったのは、白っぽい車が霞の中から現れることであった。
まだ直前という距離ではなかったが。

サングラスは全く役にたたず、逆効果であった。
急に影の部分にはいると瞳孔の絞りが付いていかず、影の中が認識できないからである。

ある時、不思議なことを発見した。
100円ショップで売っている視力向上に効果があると言われる、小さい孔が沢山明いている眼鏡風の物がある。
それを掛け、テレビを視たところ小さい孔の中心にぼんやりと黒い点が見えるのである。
どうやらそれは左目の白内障の患部であるようだ。
幸い右目はよく見るとかすかにその様な物を感じる程度であった。

両眼の手術を行った今は、霞などなく信じられないほどよく見られるようになった。
私は自分の裁量で運転時間は決めることが出来るが、未だ宮仕えの知人は仕事で車に乗る機会が非常に多い。
悪いことを言わないから早く手術しろよ、と言ってあげた。

本当は安全運転違反であったが、経験から、『霞がかかったように見づらくなっていたら一度眼科に行ってご覧なさい。』  

Posted by anagura at 22:33Comments(0)酒天老子

2008年12月24日

久しぶり

二十日ぶりに内科の診察で病院へ行った。
白内障の手術後初めてである。

受付後すぐに血圧測定がある。
術前は何時も200近く、たまに超えたこともある。
車運転直後の測定でその為何時も10分ほど経ってから再測定していた。
術後の今日は130位で普段の数値と変わりなかった。

家内と見辛い目で神経を遣っての運転でそれが高血圧の一因だったのではと話しあった。術前運転は出来る限り差し控えていた、久しぶりに色々と回った。

関市の病院から岐阜の湊町界隈で用を済ませ県立図書館。
年末年始の間に練る構想の資料を借りる目的であった。
幸い目的の本と数日前に思いついた事に関する、詳細な記事掲載の本があり二冊借りてきた。

その後R21号を東進、各務ヶ原市内で右折南進。
横の家内に何も言わずに目的に向かった。
一軒の店に着き「ケーキ買っていこう。」

紫苑というケーキ屋である、ここに付いては以前の記事で書いたことがある。
http://anagura.gifulog.com/d2007-12.html
何年ぶりであろう。
その時一度食べてことがあり、何時も食べていたケーキと全く違う旨さがあり、毎年買いに行こうと思いながら機会がなかった。

丸いケーキなど必要でなくなった。
イチゴの載ったショートケーキと体に良くないからとの理由で抹茶のケーキを買った。
わずかな時間で平らげた、久しぶりに旨い思いをした。

県立図書館界隈に行く時に必ず寄るところがある。
かって十年以上勤めていた会社の跡地である。

内紛など色々あり辞めた後に倒産、更地に成っていた場所である。
久しぶりに横を通り真新しい大きな建物が建っているのを見た。
何の建物なのか通りすがりの車の中からは分からなかった。
更地の時は未だ色々な思いがよみがえってきていたが、不思議なことに別の建物が建っているのを見ると、何か吹っ切れた感がする。

もう20年近くの歳月が過ぎた昔の事である。

昼飯時を逃し、県立図書館の横のスーパーで海苔巻きときんちゃく寿司(いなり寿司のこと)買い図書館の駐車場で済ませた。

何時もの様に作業服姿と家内。
今の時節、端から見れば妙な時間に妙なところで、軽自動車の中で飯を食べているホームレス風の夫婦に写ったことであろう。

途中でカーラジオが『職を失った派遣労働者に、寝袋と段ボールを支給する支援をし出した』とのニュースを流していた。
寝袋は未だいい、段ボールについては考えさせられた。

50歳を過ぎてから5年ほど喰うために人材派遣に籍を置いていたことがある。
当時は二足ならず四足の草鞋を履いていた、その実体は分かりすぎるほど分かっていた。
若い奴らに事あるごとに言っていた「お前らこの稼業から一日も早く足洗うこと考えなきゃだめだよ。」と。

ある時一か八かの決断をして四足を今の仕事の一足に絞った。
当然のこと物凄いことになった。

当時口をついて出てきた言葉
『どん底は どちらに転けても 上り坂』
転けてみました、ところが
『どん底の 底の下には 底があり』

今、あのとき向こう見ずにも、決断していなければと思うとぞっとする。  

Posted by anagura at 23:34Comments(0)hibi

2008年12月22日

血糖値 数値

血糖値について具体的な数値を記そう。
何時も携帯している(社)日本糖尿病協会発行の自己管理ノートより転載である。

空腹時血糖値(㎎/dl)
   優・・・・ 80~110未満
   良・・・・110~130未満
   可・・・・130~160未満
  不可・・・・160以上

食後2時間血糖値(㎎/dl)
優・・・・ 80~140未満
   良・・・・140~180未満
   可・・・・180~220未満
  不可・・・・220以上

一緒に掲載されている各種検査の正常値も記す
 総コレステロール・・・・・・120~220㎎/dl
LDL-コレステロール・・・120 ㎎/dl未満
 HDL-コレステロール・・・ 40 ㎎/dl以上
中 性 脂 肪 ・・・・・・50~150㎎/dl  

Posted by anagura at 22:08Comments(0)血闘記

2008年12月19日

邂逅

恒例の年末ジャンボも今日が発売最終日。
流石に多い人、駐車場は満車で前の通りは渋滞。
売場から三軒ほどこちらまでの行列であった。

今日の午後は商業車が多かった、仕事のついでに買いに来る人が多いからであろう。
今回は若い家族連れの姿が少なかったように感じた。
景気のせいであろうか、せめて宝くじでもよりその様な気分にもなれない景気なのかもしれない。

今回の期間中も嬉しい出会があった。

数日前のことである、ブログを読んだんだけどもと言う人が来ていると息子が呼びに来た。
30代の男性とその親御さんであった。
勿論ブログを読んでいただいたのは息子さんであり、宝くじを買いに来られた途中であった。

体は大丈夫ですかとのお気遣いの言葉をいただいた。
その方とは初対面でなかった様だ。
失礼ではあるが前の出会いは記憶になかった。

話をお訊きすると、何でも昭和終わりの頃、当時勤めていたプラモデルメーカーへの見学で、承諾と応対を私がしたとのこと。

当時何人もの見学希望の方から問い合わせがあり、それらの窓口と応対も私が行っていたので正直その方も覚えていなかった。

多分いつもの調子で、客を客とも思わない対応をしたことであろう。
しかし20年以上経ち尋ねてきていただいた事はありがたいことであり、嫌な思いをさせていなかった事でホッとしている。

今度はお友達と一緒に来たいとのこと、嬉しくもあり嬉しくもあり、待ち通しいものだ。  

Posted by anagura at 21:56Comments(0)hibi

2008年12月14日

糖尿病との戦い 血糖値

血糖値と言う言葉を知ったのは15年近く前のことである。
町の健康診断で270台であったか、350台であっのか数値は忘れた。
保健婦が「あなた、この数値では昏睡状態だよ。」とあきれられ糖尿病予備軍ですと宣言された。

えらくショックを受けた。それが血糖値という言葉を知った最初である。
しかしその時以来ず~っと正常な値が幾つなのか知らなかったし、気にもしていなかった。

その後何となくいろんな所から正常な値は110位らしいと知った。
近頃は高い血糖値に対応する商品のCMなどに見られるように、血糖値を気にする世情である。
その当時は今ほど日常的に聞かれる事ではなかった。

であるが大半の人が血糖値に対する具体的な知識など無いのではないかと思う。
10月22日の入院時の血糖値は320であった。
恐らく高数値は一時期を除き15年ほど続いていたと思っている。
特別な自覚症状もなく、普通の生活に何の支障もなかった。

現在はインシュリンを朝夕投与しているが、不規則な時間の食事の時を除き大体100以下である。
この数値は理想的な数値ではなく少し上げなければならない数値であるようだ。

それは低血糖を起こす可能性を秘めているからである。
事実その症状が出る事が現在まで度々あり、今までに数度インシュリンの投与量の調整があった。

低血糖の数値に関してこれ又、意外なことがあった。
医療に関係している人が具体的に、その数値を即答できなかったことが何度かあった。それが知りたくしつこく尋ね、調べて来て教えていただいた。当然主治医、看護師クラスの関係者ではない。
数値は60ぐらいで人個々で異なると言うことであった。

私の場合、50位が症状の現れる様である。
症状には色々あるようであるが、私の場合目がボ~としてくるのを基準としている。
その対応としてブドウ糖と飴は必ず携帯している。

入院中から今も朝、昼、晩の食事の前に血糖値を測っている。

それで初めて知ったのであるが、一日の間に血糖値は上がり下がりすることであった。
入院中馬鹿な言葉が口をついて出てきた。
『乱高下 株価と同じ 血糖値』などと。

つまり私の生活の中で血糖値の数値を知る機会である、町の定期検診は年に一回で、受診時間は自分の都合で行くため一定して居らなかった。

従ってその時の数値が一番高い物なのか、低い物なのか正確には分からなかったのではと思っている。事実年毎に100以上の開きがあったように記憶している。  

Posted by anagura at 17:17Comments(2)血闘記

2008年12月11日

白内障手術 ターミネーター爺さんへ

一連の入院生活も5日の退院で終わった。
糖尿病治療の退院後、12月1日より5日まで白内障の両眼手術での入院であった。
名古屋の上飯田の大病院であった。

白内障手術だけならば日帰り手術も可能であったが、水がたっまている可能性もあるということで、最悪その手術も含め当初2週間の予定であった 。
幸い検査で過去に患った痕跡があったが、今回は白内障手術だけで良かった。

手術は片目ずつ2日に亘って行われた。
手術は所要時間は片目7分で終わった、通常10~15分程だそうだ。
目薬での局部麻酔で痛みは全くなかった。
術後1時間のベットでの安静は指示された。

日帰りが出来る程であり、程なく物を見ても問題は無いようであったが、指示通りその日は眼帯をしたままで過ごした。

次の日の早朝、起床時間直後に眼帯は外された。

感動であった。

週刊誌の文字がはっきりと見へ、文字の色が真っ黒であった。
未だ薄暗い街であったが、向かいのビルのシルエットがはっきり見える。

暫く後、朝日の中の街は本当に綺麗に見えた。

何時の頃からか、春霞の中に居る様で物がはっきり見えていなかった。
はっきり見えていた頃の見え方が思い出せない程昔のことである。

退院後PC画面を見た、全ての画像がこんなに綺麗であったのかと又も感動。
お陰で入院で中断していた製品の粗が目立って仕方が無く一部やり直しをしている。

自分の体にメスを入れる事は初めてであり。
人工物を入れたのも初めてである。
未だ、エンジン全開ではないが程なくターミネーター爺さんの新たな行動に移ろう。

  

Posted by anagura at 19:10Comments(0)

2008年11月24日

西尾諭子の歌声

近所には知らないだけで素敵なかたが居られる。
私の住まいは坂祝町である。

自宅から歩いて10分足らずの所にその方は居られる。
お会いしたことはない。

西尾諭子との名の声楽家さんである。
平成9年に全国童謡歌唱コンクールでグランプリを受賞された人である。
11月30日(日)に中山道太田宿で開催される「大八講座」でコンサートが開かれる。

今回は自分の入院の都合で行くことが出来ないと思っていたが、入院の日程のずれでかろうじて行くことが出来そうである。

自分の趣味の範疇と少し距離があるが、今回は久しぶりに家内同伴で心を洗いに行こうと思っている。

会場は特別な音響設備もない宿場の日本家屋である。
畳の間は50人ほどで一杯である。

土間に床几はある、ストーブは用意されると思うが少し冷える時期である。
ホッカイロの一つも用意されると良い。



西尾諭子が、歌う・・・、語る・・・・』
歌による自分史コンサート
講師 西尾諭子(声楽家)岐阜県加茂郡坂祝(サカホギ)町在住

日時 11月30日(日)
午後 午後1時30分~3時30分 
会費 500円(会費としておりますが会員など無く、誰でも気楽にご来場ください)
会場 中山道太田宿(岐阜県美濃加茂市太田本町)
    「小松屋」

明日から発売の年末ジャンボ、有名な平川たばこ店は歩いて3、4分の所にある。

詳細は次のアドレスをご覧ください
http://www.geocities.jp/kasamazya/daihati.htm
  

Posted by anagura at 21:42Comments(0)太田宿

2008年11月14日

高血圧

糖尿ではあるが腎疾患が慢性化して居るとの診断であった。
尿中の蛋白は昨日の検査で無くなっていた。

一昨日の夜、NHKテレビで糖尿と腎疾患の関係を取り上げていた。
その中で高血圧と腎臓の関係があった。
この事は1年半ほど前にアメリカで発見されたことで、日本の医者全てが知っていることではないらしい。

幸いなことに私はこのことを知っている主治医であった。

急激な体調の変化は夏を過ぎてからであった。
勿論、さして仕事に影響が無く気にもしていなかった。

それまで公共施設に設置の血圧計で機会あるごとに血圧を測っていた。
その後、親父の使っていた血圧計があることを知り自宅でもはかることが出来た。

以前は上が110~120位であったが2年ほど前から120を超えることが多くなった。
この秋口より180超えの時が多くなり200を超えることもあった。
最高は235であったが、少し頭が重いかなと言うことで仕事はそのままやっていた。

今まで車の運転直後200を超えたことは経験していたが、普段の生活の中では無かったことであったが、頼まれ仕事があり仕事を休むわけも行かず、結局当初の予定を1ヶ月遅らせ医者へ行った。

昨年夏であったのか一昨年であったのかうろ覚えであるが突然有る症状が出た。
それは今回の治療により無くなるまで続いた。

夜、床に入り耳を枕に接するように横向きになったとき、突然鼓動音が聞こえだした。
かなり大きな音である。
それが心臓の鼓動音であることに気づくには時間は掛からなかった。

加齢による感じる音の周波数からなのかなどと、気にはなるもののそのまま過ごした。
ただ一度入院一ヶ月ほど前のこと、夜中に目が覚めたときその音がしていなかった。
わずか一、二秒の後であったろうか、何かが詰まっていてそれが突然取れたときのようにドンというような音と軽い衝撃で再び鼓動音がし出した。

それで目が覚めたのかは分からないが、僅かの時間心臓が止まっていて再動し出したと思わざるを得ない出来事であった。

入院後、治療には血圧を下げる薬の服用があり、現在もそれは服用している。
現在の血圧は90代から75位である。

昼食後、20~30分の早足での徒歩。
悪天候の時は10cm程の高さの段ボールに新聞紙を詰めて作った台の上り下りを20分ほどやっている。

その後に測定の血圧値は確実に下がっている。

今回、白内障という眼科へ掛かり、眼底検査により糖尿の進行が分かり、更に腎疾患が分かった。
もし白内障が発症していなければ、それまでと同じくさした自覚症状もないまま確実に放置していたはず。

そして最悪な結果になる崖っぷちであったことを知った。
  

Posted by anagura at 22:07Comments(0)血闘記

2008年11月11日

糖尿 自覚症状

ここに記す症状は私自身に起こったことで、医学的知識のない素人が気づいたことであり、一つの記事として読んで欲しい。

尿について
30年ほど前に勤務していた会社へ時折献血車が来て献血をした。
今でもそういうシステムなのかは知らないが、当時は献血後血液検査の結果を知らせてくれた。

それが血液検査をした最初である。
検査項目の中に蛋白量がありそれが+2か+3有った事がある。
それが体に対してどのようなものなのか知らなかった。
又、特に要治療についてなどの指摘もなかった。

それから随分経ってから、放尿時便器で妙に泡立つことに気づいた。
時には臭いがきつく、表現が難しいが金属質的な臭いがするときがあった。
今から思うとその頃から体調の自覚症状がなかったが、病が進み出していたようである。

一般的に言われる喉の渇き、頻尿は今から10~12年ほど前にあり、その後一旦無くなり、その後も時折その症状が出ることがあった。

尿、喉の渇きなどの異変は、精神的、肉体的なストレス、体の極度な冷えなどの時顕著であった。
(次回へ)  

Posted by anagura at 19:00Comments(0)血闘記

2008年11月07日

実録糖尿闘病記

先月22日より今月2日まで入院した。
糖尿病が悪化したからである。

此の病との付き合いは20年以上になる。
今回入院の発端は白内障の治療に眼科へゆき、そこで眼底検査を行ったところ少々ヤバイ状況であることが分かった。

その為、まず内科で糖尿関係を治療する必要があるとの事で内科へ行った。
血糖値が300超えであり、インシュリン治療と言うことで、仕事の関係で1週間後に入院することとなった。

前述したように20数年前のサラリーマン時代、製品開発部門で責任者をやっていた。
その時新製品の開発で物凄い難問にブチ当たりその過程で膵臓と腎盂炎を患った。
それは僅かな日数の通院で治った。

以降、爆弾を抱えた様な不安を持ち続けることとなった。
今から思い起こすと悪化を促すきっかけが何度かあった。

此の間に一度専門病院に通院治療を行ったが、結局断念した事がある。
退院した今も自分でインシュリン注射を行っている。

今回の入院で一番感じたことが、自分の病について何の知識もなかったことである。
例えば、血糖値が高いと言うことに対し、正常な血糖値数は幾つなのかすら正確に知らなかった。

この機会に20数年の経緯、入院中の事を書こうと思った。

医学的知識の全く無い者が各記事である。
事実だけを書くが、呉々も鵜呑みにしないで欲しい。  

Posted by anagura at 21:57Comments(2)血闘記

2008年11月05日

不気味

言葉のすり替えで物事の本質を覆い隠そうとすることがある。
一つに言葉狩りがある
これは言葉狩りに当てはまるのか、であるが。

10日ほど入院していた
入院時テレビも視ず、新聞も読まず世の動きと隔絶するつもりで入った。
それは実行した。

先日退院した
総理大臣は代わっていなかった。
一番目に付いたニュースは空自幕僚長の論文問題である。

その人物がすでに戦後生まれと言うこと。
当事者は何お咎めもなく、監督責任で大臣等が減給などとか、いつもの事である。

減給などと言っても、昨今のテレビでよくある他人の分まで支払いを課せられる、出演者の自己負担の罰ゲームと同様
表向きなことであろう。

監督責任などと言うより、何の処分も科す事が出来なかったことの責任であったほうが、何か納得できるような気がする。

そんな論文問題の裏で奇妙なことが起きている。
新聞、NHKニュースだけであるが、恐らく主なマスコミは横並びだと想う。

論文の内容に関し第二次大戦など言われていたものが、「昭和戦争」、「先の戦争」という表記に変わっていることである。
何を覆い隠そうとしているのか。
右だの左だのとの思想的なことは無縁の一市民である。

が、マスコミ全てが横並びで変わったことが不気味である。

この道はいつか来た道。

幕僚長と同じく戦後の人間であるが、大本営発表と言う言葉は知っている。  

Posted by anagura at 21:57Comments(0)なんとなく

2008年10月21日

洒落にならない結婚記念日

30数回目の結婚記念日


30数年前の今日は「国際反戦ディー」であり、その日の東京のホテルの下の公園はヘルメット姿のデモ隊でぎっしり、皇居周辺は機動隊そんな厳戒態勢の中であった。


10年ほど前の記念日のプレゼントは、単身赴任先から「辞めた、帰るから」と突然の電話。
これには或るところで電話盗聴をされていたため、その後の行動を妨げられないための方策との理由があった。勿論盗聴の件は数年前に初めて家内に話したことではあるが。


何故かこの日は家内に禄でもないプレゼントをする日のようだ


今年のプレゼントは明日からの入院
30数年前の新製品開発で負った病が因での持病の悪化である。
先日、タイトル変更時人生のリセットなどと書いた次の日、病院で分かり洒落にも成らないことである。


休み無く突っ走ってきた体、一旦休養せいと言うことであるようだ。
2~3週間のことらしい、仕事を離れて持て余す時間がありそう、数々あるブログ用のネタでも纏めることにする。


とは言いつつ、これを機会に生業の新たな展開構想を考えようと思っている。
何処まで行っても仕事から離れられない世代の人間であるようだ。


明日から病院へ入る人ら一員、「我が闘病!」なんて。


言うことで暫く此のブログは休止

  

Posted by anagura at 08:53Comments(2)だいなし

2008年10月17日

新婚の奈良漬け

我が一族は酒好きである

私は会社勤めの頃の人脈の関係で、北の東北から九州まで酒好きで通っている。

飲酒は20歳からの法律あり、我が家は昔から規則を守ることには厳格であった。
只惜しいことに、それ以上に逸脱することが好きである。

よって初めての飲酒はそこそこの歳であった。
そんな輩が1週間ほど酒を断っている、厳密に言えばドクターストップである。

「酒を取るか命を捨てるか」と医者に問われ「酒」と返答
「医者をなめるな!」と激怒させた事もあった。

しかし今回ばかりは従わざるを得ない事態である。
仕方がないので新しくカテゴリー追加で、酒の話でも綴ろう、次回はずーと先になると思う。

我が一族と異なり家内の家は酒が呑めない。
酒飲みには少し難儀である。

新婚のある日、事が起こった。
奈良漬けを肴に晩酌をやっていた、酒に縁のない家育ちには奈良漬けなど初物である。

酒が入っていることなど知るはずもなく、勧めて家内に食べさせた。
半切れ食べてやめた。

ものの五分もしないうちに顔を赤らめ、動悸が激しくなり、ふらふらし出した。
流石にあわてて水を飲ませたりして寝かしつけた。

今では奈良漬け半切れで酔っぱらったと我が家の笑い話になっている。
今では夏場のビール

「いつもより分量少ない気がする」
「あんたが横向いてるときに一口飲んだ」
  

Posted by anagura at 22:34Comments(0)酒天老子

2008年10月13日

45の手習い

先回の記事の中で45歳で習字と書いた


昔から親、兄弟も認める悪筆であった


昔、豊田商事事件という詐欺事件があった、取材陣の前で社長が斬殺された事件である。
この事件は私にとって或る思いを抱かせる事件でもあった。


一連の報道の中で此の男のホテルの宿泊カードが映された。
その署名はまるで幼稚な筆跡であった。
いい悪いは別にしてそのような大事起こす人間とは想像も付かない字であった。


それは何時も嫌なことであった。
家庭を持ち、冠婚葬祭に出席する機会が多くなり、当時は未だ筆が幅を利かせていた時代、
受付での署名である。


此の二件が人前で恥ずかしくない、年相応の字を書きたい。そんな思いを持たせた。


それから十年以上たった四十五歳の頃は単身赴任中であった、
テレビもない生活で夜はたっぷり時間があった。

思い切って通信教育をやることにした。
これは短期間であったが行ったが、結局一回も課題を提出することもなく程なく帰郷、
全くやる時間が無くなり断念した。


前述二件の頃の後に一つの事をやりだした、これは今でも行っている。
一本の筆ペンを買ってきた。
何時も手の届くところに置いている。


気分のむいたときに悪戯書きをしている。
新聞詩に記事の文字を筆でその紙面上に写し書き、自分の家族の名前書き、ポンチ絵などおもいつくまま、気の向くままに書いていた、書いている。


物事の習得はどんな事でも、ある日突然劇的な進歩をするものだ。
ある時これが俺の字と自分でも驚く筆跡に出くわした。
人に自慢できるような水準ではない、元が悪筆であるからである。


それでもどうにか冠婚葬祭の受付で嫌な気分には成らないですんでいる。

昨今は歳の関係で葬儀の受付に立つ機会が多くなった。
達筆の人に出会うとき、その人が一段と立派に見えるから不思議である。
その時はその人の筆裁きに注視している、その後その見た方法で書いてみることにしている、勉強になる。


すこし気障な感じがするが、仕事上含め郵便物の表書きは出来る限り筆ペンで書くことにしている。
練習の意味もあるが、気持ちを込めることが出来るからである。


今では大半の文書をpcで作っているが、署名は手書きである。


先日時間が無く、PCよりも早く処理が出来る手書き文を投函した。
返事には、わざわざ肉筆の手紙久しぶりに見て嬉しかったとの一文が書き添えてあった。



明治生まれの親父は近所でも字が上手いことで通っていた。
戦前小学校の教員の時、県庁に出す文書があまりの悪筆で、校長が書き直し提出した事があり、負けず嫌いというかプライドの関係で、それを機会に書家に師従したと聞いていた


少し違うが
「気が付けば 親の通りし 道辿る」である


そろそろもう一度、断念した通信教育の教材を引っぱり出そうと思っている、PCの時間を割いて

  

Posted by anagura at 09:56Comments(0)なんとなく

2008年10月07日

タイトル変更

ブログ名を変えることにした
夏のはじめに東京からの客人と呑んだ
小料理屋の奥座敷で

同世代の旧知の人でカメラマンを本業としている
ルート66で盛り上がった客人は本場を走破した経験者である
その時思いついたタイトルである

お年寄り、老人という中国語である
個人的には老を取るなどと悪あがきの解釈をしている

来年早々の誕生日にはロートル62に変える
ロートル66まで行かず、ロートル65で終わると思っている
訳は不吉なことからではない

家内は二十歳の頃農協の窓口に勤めていた
当然お互いの存在など知らない頃である
ある日ふらりとその職場に老僧が来たそうだ 、そして其処にいた女子職員の手相を見たそうだ

その話は結婚して随分立って話してくれた
車をもてる歳、家を手に入れる歳、体をこわす歳などを言って去っていったそうだ

その歳は一年の狂いもなく当たった。
最後は私がそこそこの地位までいける言うことであった

其処まで当てた老僧である、その後の運勢も分からぬはずが無かったと思う
今振り返って、その後の苦労をする事を話していかなかったのだと理解している

その転機は私の後厄の歳であった

自分自身30代半ば頃45になったら習字をやっていると思ったことがある
やりたいではなく、やっているである

30代後半から40代はじめに50過ぎに自分の商品を持っているかもと突然思ったことがある
それらは何となくそのようになっている

今年の春、中学の同級生が来た65過ぎてもこの仕事をやるのか」と聴かれた
自分自身死ぬまでやる気と思ってやっていたが、思わず口にしたのが「全く別のことをしていると思う」

周囲に翻弄され、どのようにしてやって来たのか思い出せないぐらいの15年ほど

年齢的にまともに働くところもなく二足、三足、四足の草鞋の中、自分で物を作るより方法がないと資金もなく出来る方法を考えてやりだした

一つの大きな誤算に最近気が付いた
会社勤めの場合定年という人生のリセットをする機会があるが
今の私には区切りがないまま、リセットをする機会もなく時が過ぎていくことである

特にこの10年PC中心の毎日である
確かに同世代の者と比較し先端を行っているようであるが、結局PC、netの中は
現在と過去が中心であり、未来を発見することが難しい世界である

pcなど操れない同年代の生き生きした表情を見るとき、PCという小さな箱の世界から
少し離れようと思った

全て離れる事は魅力在るこのおもちゃ箱は許しそうもない、多分1割程度しかはなれられないとは思うが
自分で自分に仕掛けるリセットである

多分夢を探すことは出来るだろう
自分でも分からない65歳でやって居るであろう新しいこと
早くて来年にはその兆しが出てくることであろう

自分自身楽しみである

66歳ではロートル66とは異なるタイトルになっているはず  

Posted by anagura at 22:15Comments(0)hibi

2008年10月04日

零戦の照準器


九八式射撃照準器を納入した
九州福岡県の音楽館の零戦用にである

この零戦、以前は小牧空港に展示してあった物である
福岡の所有者に返還されて現在は音楽館に展示してある

来年10月に完成の福岡県筑前町の大刀洗平和記念館に移され、現存する97戦と一緒に
展示一般公開される

照準器の機体への取り付けた状態の公開はその時になるようだ

呉市の大和ミュージアム (四式射撃照準器)の零戦、河口湖自動車博物館の零戦2機 、靖国神社の零戦に次いでの実機取り付けである

岐阜の小さなモノノケ工房で作られた製品とはマニア以外あまり知らないことである
ある意味愉快である  

Posted by anagura at 08:50Comments(0)生業

2008年10月02日

こんにゃくゼリー

ここのところ非常に腹立たしいことがある
このようなことを言うのは、今の世の中では変人かもしれない

こんにゃくゼリーの問題である
物事は切り離して考えることにする

幼い子供が命を落としたことは、非常に悲しい傷ましいことである
それはおいておこう

子供の頃、祖母にひどく叱られたことがある
大人の世界と子供の世界のはっきりとした区分けがあり
大人の食べ物と子供の食べ物の区別が在った時代のことである

駄菓子屋でストローに入ったゼリー状の物を買ってきたときである
つるっと入る物は子供は喉に詰まらせるからとの訳であった
その駄菓子のことだけでなく、行儀が悪いから外で物を食べるな、物をくわえて歩くななど等々叱られたことがある

外で物を・・・・は、子供は地面射落とした飴などを拾って口に入れる。
今と比べ衛生状態の悪い時代のこと疫痢で亡くなる子供が多かったからだと教えられた。
物をくわえては・・・棒に付いた飴などは転んだとき喉を突くからと教えられた
行儀が悪いというのはその方便である

今回の事故についてマスコミその他こんにゃくゼリーの存在、メーカー責任を追及しているが、個人的には2歳にならない子供にそのような物を食べさせるその神経が分からない。
事故ではなく犯罪と同じレベルの事であると思う
ツバメや小鳥さえ親鳥は餌を小さくして食べさせる

お客様は神様、消費者は神様といわれる
しかし非常識な消費者は別の問題である

辛い物、刺激の強い物は子供の体に悪いから少しにしておきなさい。
子供の手の届かないところに、子供に危ない物を置く

自分が親の時と比べ驚くほどきめ細かい事に目を配っていた
自分の祖母、母だけでなく、それが普通の事であり近所のおじさん、おばさんも他の家の子にもごく普通に注意していた事である

大人と子供は同じではない、子供の人権とかで大人と同等の扱いの世の中になってきている。

事によるが、子供には人権など在るはずもない
それだから大人がきめ細かく守り育てる事が子供の人権を守ることではないかとおもう。

何年かまえのアンケートで子供は社会が育てるが親が育てるを上回っていた。
我が家は国の歯車を育てる気もなく我が家の子供を育てるが基本で在るので少々違和感を持った。

こんにゃくゼリーもそうであるが、一握りの非常識な出来事でその度に庶民からどれだけ沢山の自由、楽しみが奪われてきたのか

多分これからも奪われて行くんだろうな
気が付けば正月はチョイと先、正月に餅が食べれなくなることだけはやめてくれ  

Posted by anagura at 22:18Comments(0)どうでもいいが