2010年02月20日
円空仏・木喰仏
21日の大八講座は『「民間の信仰」の系譜円空仏・木喰仏』
講師は小島悌次 氏〔円空・木喰研究家)である
2月21日 午後1時30分から
詳細は次のアドレス参照ください
http://www.geocities.jp/kasamazya/daihati.htm
講師は小島悌次 氏〔円空・木喰研究家)である
2月21日 午後1時30分から
詳細は次のアドレス参照ください
http://www.geocities.jp/kasamazya/daihati.htm
2010年02月15日
ジャンボ宝くじ
午前中のことである
10時ごろ急に和太鼓の音がしだした
仕事場の3軒向こうの駐車場からである。
小雨の中駐車場の人集りへ行って見た
餅つきのイベントである
近所の平川宝くじ屋の20周年記念のイベントであった
宝くじ販売は私の子供の頃からでかなり古い
今の代になってからの20年らしい
プロの餅つきが来てのイベントで、つきたてのお祝いの餅を戴いた
つきたての餅など何十年ぶりであろうか美味かった
それとは別に昔なら餅投げ用の丸餅をもらってきた、写真のものである
今日から発売のジャンボにあわせての意味もあるようだ
しかし今度の宝くじは一国民として複雑である、考えなければよい事であるが
最高額2億円である、6回分か?
1回分の2億円目的にどれだけの人が夢破れていくのだろうか
知らないうちに6回分が抛りこまれる処もあることを考えると
なんとささやかな夢であろうか
何の事かって
2億×6回=12億
ああ、鳩の話ですか
只、鳩はクッククックと笑えるかもしれないが
わたしゃ苦苦苦苦と洒落になりませんが
当るはず ないと言いつつ 籤を買いますか


10時ごろ急に和太鼓の音がしだした
仕事場の3軒向こうの駐車場からである。
小雨の中駐車場の人集りへ行って見た
餅つきのイベントである
近所の平川宝くじ屋の20周年記念のイベントであった
宝くじ販売は私の子供の頃からでかなり古い
今の代になってからの20年らしい
プロの餅つきが来てのイベントで、つきたてのお祝いの餅を戴いた
つきたての餅など何十年ぶりであろうか美味かった
それとは別に昔なら餅投げ用の丸餅をもらってきた、写真のものである
今日から発売のジャンボにあわせての意味もあるようだ
しかし今度の宝くじは一国民として複雑である、考えなければよい事であるが
最高額2億円である、6回分か?
1回分の2億円目的にどれだけの人が夢破れていくのだろうか
知らないうちに6回分が抛りこまれる処もあることを考えると
なんとささやかな夢であろうか
何の事かって
2億×6回=12億
ああ、鳩の話ですか
只、鳩はクッククックと笑えるかもしれないが
わたしゃ苦苦苦苦と洒落になりませんが
当るはず ないと言いつつ 籤を買いますか


2010年02月09日
神だのみ
知らない土地で方位を知る術の一つに神社がある。
神社は南向き又は東向きだからである。
東から南は太陽が昇る方位である。
神社のご神体は鏡であり、それは太陽と関係があると言われている。
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の卑弥呼は、実は日〔陽〕巫女ではないかと言う説もある。
これは、卑弥呼の没した年が皆既日食のあった年でもあるように、又、世界の文明が太陽と密接な関係があるように、卑弥呼も太陽に関係した祭事を司った人物ではないかと言われている。
既に気づかれていると思うが、日本神話の中に天照大神が天岩戸にお隠れになり、世の中が闇の中に陥り神々が困り・・・・・と言う話がある。
これは皆既日食と考えれば、すごく納得のいく話である。
卑弥呼の時代より後に作られた日本神話の基には、卑弥呼の物語があったのかも。
話は飛ぶ。
笑福亭鶴瓶と言う落語家がいる、少し前から色々な分野で活躍している人である。
NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」が出ている有名である。
日本の地方を旅する其の番組のなかで、訪れた地の神社にお参りをするシーンが度々出てくる。
その様なシーンが出てこない時もあるが、必ずその様な行いはしているであろう、と思う。
とすれば、放送開始から全国各地のかなりの数の神社、祠にお参りしていることとなる。
最近の活躍を見ると、ふと考える。
15日からジャンボ宝くじ発売だし。
神社は南向き又は東向きだからである。
東から南は太陽が昇る方位である。
神社のご神体は鏡であり、それは太陽と関係があると言われている。
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の卑弥呼は、実は日〔陽〕巫女ではないかと言う説もある。
これは、卑弥呼の没した年が皆既日食のあった年でもあるように、又、世界の文明が太陽と密接な関係があるように、卑弥呼も太陽に関係した祭事を司った人物ではないかと言われている。
既に気づかれていると思うが、日本神話の中に天照大神が天岩戸にお隠れになり、世の中が闇の中に陥り神々が困り・・・・・と言う話がある。
これは皆既日食と考えれば、すごく納得のいく話である。
卑弥呼の時代より後に作られた日本神話の基には、卑弥呼の物語があったのかも。
話は飛ぶ。
笑福亭鶴瓶と言う落語家がいる、少し前から色々な分野で活躍している人である。
NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」が出ている有名である。
日本の地方を旅する其の番組のなかで、訪れた地の神社にお参りをするシーンが度々出てくる。
その様なシーンが出てこない時もあるが、必ずその様な行いはしているであろう、と思う。
とすれば、放送開始から全国各地のかなりの数の神社、祠にお参りしていることとなる。
最近の活躍を見ると、ふと考える。
15日からジャンボ宝くじ発売だし。
2010年01月25日
幻の木曽川
木曽川は流域で育った私には一番身近な川である。
5.6代も前に笠松町から移住してきた我が家は、昔から木曽川流域の住人である。
何年も前から太田宿に関してホームページを持っている。
仕事の合間に気分転換で頭の中で考えたり、思いついた事柄を書き連ねている。
専門家でも研究者でもない、何のしがらみも無い中で素人の勝手に理由付けした内容である。
只、それがために意外な展開、発見が出来る。全てが自己満足である。
今回は数年前に疑問を持った事が解決できた。
幻の木曽川をついに発見した。
次のアドレスで開いたページの終末部である。
http://www.geocities.jp/kasamazya/mouhito1.htm
ホームページ全容は次のアドレスからご覧ください。全てをご覧になるにはそれなりの時間が必要です。
http://www.geocities.jp/kasamazya/index.htm
勿論何時ものように誤字、脱字は満載である事はご容赦の程
5.6代も前に笠松町から移住してきた我が家は、昔から木曽川流域の住人である。
何年も前から太田宿に関してホームページを持っている。
仕事の合間に気分転換で頭の中で考えたり、思いついた事柄を書き連ねている。
専門家でも研究者でもない、何のしがらみも無い中で素人の勝手に理由付けした内容である。
只、それがために意外な展開、発見が出来る。全てが自己満足である。
今回は数年前に疑問を持った事が解決できた。
幻の木曽川をついに発見した。
次のアドレスで開いたページの終末部である。
http://www.geocities.jp/kasamazya/mouhito1.htm
ホームページ全容は次のアドレスからご覧ください。全てをご覧になるにはそれなりの時間が必要です。
http://www.geocities.jp/kasamazya/index.htm
勿論何時ものように誤字、脱字は満載である事はご容赦の程
2010年01月23日
忠太郎食堂
17日の日曜日に例年のように少し遅い初詣に行ってきた。
彦根市の向こうにある多賀大社までである。
今年は思いのほかスムーズに行け、2時間ほどで行く事ができた。
高速道路を使うとかえって時間がかかり、国道21号を通る行程である。
其の不思議な理由は簡単な事で、途中の養老サービスエリアでの遊びという休憩時間が掛かるからである。
今年の初詣風景は何時もと異なっていた。
華やかさが感じられなかった。
小正月が過ぎてはいたが前は1月中はそれでも華やかさがあった。
それは家内も同様に感じていた。不景気の影響なのか。
参拝は何時も12時前に終える事ができ、昼食を何処で摂るかが何時も悩み事である。
今年は密かな楽しみがあった。
忠太郎食堂は名神高速米原インター近く、国道21号沿いにある。
中山道番場宿である
何年も前から多賀大社通いの途中、何時も気になっていたのがこの食堂であった。
長距離トラック相手の食堂である。
番場の忠太郎に因んだ店名である。
前の年の秋に退院した身で揚げ物には家内が神経を尖らせており遠ざかっていたが、ついに「かつ丼」を注文。
値段650円か670円であった。
値段分のものだろうと出来上がりを待った、来た。
其の姿は「わたくしカツ丼と申します」と、ダイエットをし上品そうな分厚い衣を纏ったものではなく。
「おらア!カツ丼だ」と迫力あるどっしりしたものであった。
味?文章で表せるほど文才は無い。
貪り食った、うまかった。
家内は玉子丼を注文した。
何時もは何がしか残すが完食した。
密かな楽しみはそこで昼食を摂る事であった。
カーブを曲がりきった交差点の角に突然現れるのがそこで、駐車場へ飛び込んだ。
入り口には無情の看板「本日休業」
そういえば昨年は土曜日に来たんだ。
その後、お千代保稲荷に参り午後2時近くの遅い昼食であった。
来年まで待つのか、それともそれまでの間に西に車を走らせようか。
上と下の瞼をあわせりゃ あのカツ丼の 面影が浮んでくらぁ
彦根市の向こうにある多賀大社までである。
今年は思いのほかスムーズに行け、2時間ほどで行く事ができた。
高速道路を使うとかえって時間がかかり、国道21号を通る行程である。
其の不思議な理由は簡単な事で、途中の養老サービスエリアでの遊びという休憩時間が掛かるからである。
今年の初詣風景は何時もと異なっていた。
華やかさが感じられなかった。
小正月が過ぎてはいたが前は1月中はそれでも華やかさがあった。
それは家内も同様に感じていた。不景気の影響なのか。
参拝は何時も12時前に終える事ができ、昼食を何処で摂るかが何時も悩み事である。
今年は密かな楽しみがあった。
忠太郎食堂は名神高速米原インター近く、国道21号沿いにある。
中山道番場宿である
何年も前から多賀大社通いの途中、何時も気になっていたのがこの食堂であった。
長距離トラック相手の食堂である。
番場の忠太郎に因んだ店名である。
前の年の秋に退院した身で揚げ物には家内が神経を尖らせており遠ざかっていたが、ついに「かつ丼」を注文。
値段650円か670円であった。
値段分のものだろうと出来上がりを待った、来た。
其の姿は「わたくしカツ丼と申します」と、ダイエットをし上品そうな分厚い衣を纏ったものではなく。
「おらア!カツ丼だ」と迫力あるどっしりしたものであった。
味?文章で表せるほど文才は無い。
貪り食った、うまかった。
家内は玉子丼を注文した。
何時もは何がしか残すが完食した。
密かな楽しみはそこで昼食を摂る事であった。
カーブを曲がりきった交差点の角に突然現れるのがそこで、駐車場へ飛び込んだ。
入り口には無情の看板「本日休業」
そういえば昨年は土曜日に来たんだ。
その後、お千代保稲荷に参り午後2時近くの遅い昼食であった。
来年まで待つのか、それともそれまでの間に西に車を走らせようか。
上と下の瞼をあわせりゃ あのカツ丼の 面影が浮んでくらぁ
2010年01月11日
名古屋急行バス
昨年末にある人と急行バスが話題になった。
昭和30年から40年代半ばまでのころの話である。
当時多治見と岐阜間、美濃太田と名古屋間に急行バスが走っていた。
今回は名古屋行きの話で岐阜行きは次の機会にする。
話の相手は沿線沿いの人であったが、中年の人で初耳であったようだ。
当時は未だ名鉄犬山線と各務ヶ原線は接続されておらず、各務ヶ原線は単線の時代である。
太田から名古屋までは鵜沼で高山線から、名鉄に乗り換えるのは今と同じ居であった。
只、犬山線乗り場は、JR(当時は国鉄)鵜沼駅ホームからの跨線橋を降りたところがホームでであった。
(昨年末構内改修で廃止された跨線橋の話である)
其の為今のように鵜沼~新鵜沼間を歩く必要が無かった。
高山線、犬山線は今よりも運行本数は少なく、犬山線の急行本数も少なかったようであり、又接続での待ち時間もあったようだ。
時間帯によっては直通バスは便利でも合った。
美濃太田駅を出て平川宝くじ屋前→坂祝(勝山)→JR鵜沼駅前)→旧41号→新鵜沼(国道沿いのバス停)→犬山(国道沿いのバス停、駅前交差点のすぐ南)→羽黒→楽田、その後小牧、黒川を通り名古屋の笹島に至る路線であった。
一日何本も走っており、特に名古屋を夜発つ便は乗り換える事も無く、熟睡でき弁理であった。
今作業場にしているところが住まいであったので、平川宝くじ前の停車場はすぐ近くであり、当日勤めが犬山であったこともあり重宝した。
その後マイカー普及、交通事情の悪化により廃止sれた。
昭和40年代半ばであったと記憶する。
昭和30年から40年代半ばまでのころの話である。
当時多治見と岐阜間、美濃太田と名古屋間に急行バスが走っていた。
今回は名古屋行きの話で岐阜行きは次の機会にする。
話の相手は沿線沿いの人であったが、中年の人で初耳であったようだ。
当時は未だ名鉄犬山線と各務ヶ原線は接続されておらず、各務ヶ原線は単線の時代である。
太田から名古屋までは鵜沼で高山線から、名鉄に乗り換えるのは今と同じ居であった。
只、犬山線乗り場は、JR(当時は国鉄)鵜沼駅ホームからの跨線橋を降りたところがホームでであった。
(昨年末構内改修で廃止された跨線橋の話である)
其の為今のように鵜沼~新鵜沼間を歩く必要が無かった。
高山線、犬山線は今よりも運行本数は少なく、犬山線の急行本数も少なかったようであり、又接続での待ち時間もあったようだ。
時間帯によっては直通バスは便利でも合った。
美濃太田駅を出て平川宝くじ屋前→坂祝(勝山)→JR鵜沼駅前)→旧41号→新鵜沼(国道沿いのバス停)→犬山(国道沿いのバス停、駅前交差点のすぐ南)→羽黒→楽田、その後小牧、黒川を通り名古屋の笹島に至る路線であった。
一日何本も走っており、特に名古屋を夜発つ便は乗り換える事も無く、熟睡でき弁理であった。
今作業場にしているところが住まいであったので、平川宝くじ前の停車場はすぐ近くであり、当日勤めが犬山であったこともあり重宝した。
その後マイカー普及、交通事情の悪化により廃止sれた。
昭和40年代半ばであったと記憶する。
2010年01月10日
新型インフルワクチン副作用
新型インフルエンザワクチン接種の次の朝のことである。
少し寒気と、嘔吐までは行かなかったが、少しむかつきヶあり暫く伏せていた。
一時間ほど送れ仕事場に出た。
接種じに貰った注意書きには、2~3日その様な症状が出る場合があると、記されていたのであまり気にする事もなかった。
ただ昨晩含め、鼻づまりが酷く仰向けに成って寝ると鼻呼吸が全く出来なく、横向きになって何とかしのいだが、寝返りなどで仰向けになった途端に息苦しくなり眼が覚めお陰で睡眠不足。これは接種と関係あるのか分からないが。今日も未だ少し副作用気
少し寒気と、嘔吐までは行かなかったが、少しむかつきヶあり暫く伏せていた。
一時間ほど送れ仕事場に出た。
接種じに貰った注意書きには、2~3日その様な症状が出る場合があると、記されていたのであまり気にする事もなかった。
ただ昨晩含め、鼻づまりが酷く仰向けに成って寝ると鼻呼吸が全く出来なく、横向きになって何とかしのいだが、寝返りなどで仰向けになった途端に息苦しくなり眼が覚めお陰で睡眠不足。これは接種と関係あるのか分からないが。今日も未だ少し副作用気
2010年01月07日
新型インフルエンザ
他所事であった新型インフルエンザがついに身近なものとなった。
と言っても感染した訳でもない。
昨年12月初めに予約をしていたワクチン接種が、年末年始を挟んでいたとはいえほぼ一ヵ月後の今日接種できた。
未だ糖尿病治療中のため優先的な処置で、家族の中でも只一人の接種である。
健康状態等の設問書類に記入と簡単な問診、注射と僅か5分ほどで終わった。
一安心である
と言っても感染した訳でもない。
昨年12月初めに予約をしていたワクチン接種が、年末年始を挟んでいたとはいえほぼ一ヵ月後の今日接種できた。
未だ糖尿病治療中のため優先的な処置で、家族の中でも只一人の接種である。
健康状態等の設問書類に記入と簡単な問診、注射と僅か5分ほどで終わった。
一安心である
2010年01月05日
仕事始め
今日からロートル62改め63になった。
昨年同年の東京のカメラマンが来た時の酒席で、昔のテレビドラマルート66で盛り上がった。
カメラマン氏は実際にルート66の全工程を走ったそうだ。
全てがドラマの頃のオールドルートとではなかったそうだが、そのままのGSなどに出会ったときは、
いたく感動したといっていた。
ロートル62はそれを捩った。毎年誕生日に数字は増えていきロートル66になったときには、今と全く違う事をやっているだろうとの思いと、僅かな夢である。
夢は未だ定かではない。
今日から仕事始め、通りを行きかう人普段より多し。
宝くじ屋へ向かう人たちである。大半が何がしか当った人であろう。
勿論超高額当選者ではないが、どのような人か観察していた。
成るほど、金にギスギスした風情の人は見受けられなかった。
当方、昨年長野県境のある神社へ行ってきたが当選などとのご利益は無かった、大晦日の事である。
元日の日、長男一家が来た。二人目が出来たと報告あり。
時期的に、参拝に行った程なく宿ったようだ。何よりのご利益であったと思っている。
欲深いもう一人の自分も知る事になったが。
今年もひと頑張り野せねばの、仕事始めである。
昨年同年の東京のカメラマンが来た時の酒席で、昔のテレビドラマルート66で盛り上がった。
カメラマン氏は実際にルート66の全工程を走ったそうだ。
全てがドラマの頃のオールドルートとではなかったそうだが、そのままのGSなどに出会ったときは、
いたく感動したといっていた。
ロートル62はそれを捩った。毎年誕生日に数字は増えていきロートル66になったときには、今と全く違う事をやっているだろうとの思いと、僅かな夢である。
夢は未だ定かではない。
今日から仕事始め、通りを行きかう人普段より多し。
宝くじ屋へ向かう人たちである。大半が何がしか当った人であろう。
勿論超高額当選者ではないが、どのような人か観察していた。
成るほど、金にギスギスした風情の人は見受けられなかった。
当方、昨年長野県境のある神社へ行ってきたが当選などとのご利益は無かった、大晦日の事である。
元日の日、長男一家が来た。二人目が出来たと報告あり。
時期的に、参拝に行った程なく宿ったようだ。何よりのご利益であったと思っている。
欲深いもう一人の自分も知る事になったが。
今年もひと頑張り野せねばの、仕事始めである。
2010年01月01日
2009年12月27日
世の中僻み倒す 馬鹿夫婦
年の瀬も迫っていると言うのに相も変わらずの馬鹿夫婦の会話である。
来年63歳であり年金が少し上乗せになるとか、その申請用紙に記入していた。
数万円の上積みらしい、嬉しい事である。
「楽しみだな、それよりも鳩山さんちの養子になる方法は無いんだろうか?。」
「一ヶ月千数百万もは要らない。」「二ヶ月に・・・も勿体無い。」「半年、いや1年で・・・でも、贅沢さを味わえる。」
馬鹿な夫婦である。
昨日ラジオで、誰の事かは知らないが「アレだけあれば、遊んでくらすのに・・・。」なんて言っていた、納得。
生きる為に働いてきた者の言葉であろう。別に!生きる為に働いたことのない世界のことをいってもしかたがないことではあるが。
未だ20年ほど前まで日本では黄色は嫌われていた。所謂、○違い色と言われていた。
風水が浸透してきてから、やたら黄色い家が増えた。密かに「○銭奴の館」と呼んでいるが。
昨今の議員さんたちにゴールド、黄色と華やかな事、テレビ写りは良いし世の中明るくなる、よい事である。
昔、藩財政立て直しのため自ら質素な生活をした数々の名君が居たとも聞くが、昔のことである。
議員様になり煌びやかな身なりに変身のさまを見ると、成るほど政治とは色々と金が掛かるものだ。
それはよしとして、そのままで一枚を我慢したり、又ウニクロや○むらなどを駆け巡る母親の前などへ行く図太さも必要な事なんだろう。
何で!今頃? 現場も知らないで議論していたんだ?などとの声があったのかは知らない。
孫達もそろそろ小学生、子供手当てで親は必死になって育てる事であろう。何でも高校卒業までに千何百万の支給額になるそうだ。
セレブの世界ではそのまま蓄財に回せるだろうな。
昔から金持ちのところに金が集まるなどといわれているが、貧乏神という集金人が身近な世界とは
コリャ違う。
タイミングよく東京から荷物が来た。中身は黄色い箱の『鳩サブレ』。
思わず「鳩さ~ブレてんの。」と突っ込みをいれたくなった。
ここ数ヶ月イライラのし通し、同じ62歳の僻みが輪をかけて
こんなのを詠んでみた
『友愛に 母愛もありて 曖昧も』
来年63歳であり年金が少し上乗せになるとか、その申請用紙に記入していた。
数万円の上積みらしい、嬉しい事である。
「楽しみだな、それよりも鳩山さんちの養子になる方法は無いんだろうか?。」
「一ヶ月千数百万もは要らない。」「二ヶ月に・・・も勿体無い。」「半年、いや1年で・・・でも、贅沢さを味わえる。」
馬鹿な夫婦である。
昨日ラジオで、誰の事かは知らないが「アレだけあれば、遊んでくらすのに・・・。」なんて言っていた、納得。
生きる為に働いてきた者の言葉であろう。別に!生きる為に働いたことのない世界のことをいってもしかたがないことではあるが。
未だ20年ほど前まで日本では黄色は嫌われていた。所謂、○違い色と言われていた。
風水が浸透してきてから、やたら黄色い家が増えた。密かに「○銭奴の館」と呼んでいるが。
昨今の議員さんたちにゴールド、黄色と華やかな事、テレビ写りは良いし世の中明るくなる、よい事である。
昔、藩財政立て直しのため自ら質素な生活をした数々の名君が居たとも聞くが、昔のことである。
議員様になり煌びやかな身なりに変身のさまを見ると、成るほど政治とは色々と金が掛かるものだ。
それはよしとして、そのままで一枚を我慢したり、又ウニクロや○むらなどを駆け巡る母親の前などへ行く図太さも必要な事なんだろう。
何で!今頃? 現場も知らないで議論していたんだ?などとの声があったのかは知らない。
孫達もそろそろ小学生、子供手当てで親は必死になって育てる事であろう。何でも高校卒業までに千何百万の支給額になるそうだ。
セレブの世界ではそのまま蓄財に回せるだろうな。
昔から金持ちのところに金が集まるなどといわれているが、貧乏神という集金人が身近な世界とは
コリャ違う。
タイミングよく東京から荷物が来た。中身は黄色い箱の『鳩サブレ』。
思わず「鳩さ~ブレてんの。」と突っ込みをいれたくなった。
ここ数ヶ月イライラのし通し、同じ62歳の僻みが輪をかけて
こんなのを詠んでみた
『友愛に 母愛もありて 曖昧も』
2009年12月26日
犬山遊園(その2)


一昨日突然初めての客が来た
歳は聴かねど30代であろう
当方の品物を購入、それが目的だあった
そこは好き物同士、話はあっちへ行ったり、こっちへ帰ったり
結局4時間近く仕事にならなかったが、これも一興である
客人は犬山の城下に工房を持つ人
「犬山遊園」について知っておられるか訊いた
城下の長老からその存在を聞いておられ
ラインパークの開園当初の話で話は弾んだ
犬山遊園の写っている航空写真を探した
中央の森(犬山城)の右側がそれである
1961年ごろの物でライン大橋堰が工事中である
もう一枚は、犬山橋から旧国道41号と国道21号交差点までの物(1947か8年ごろの物)
鵜沼駅界隈は未だ田畑
画像は国土地理院アーカイブスの物をトリミング、シャープネス処理押した
元は描きアドレスで探せます
界隈の時の移りとその変化に、なにかを発見できるかも
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/search.html
2009年12月19日
犬山遊園
名鉄新鵜沼と犬山の間に犬山遊園駅がある。
近くにラインパークと言う遊園地はあるが、犬山遊園などという処はは何処にもない。
先月の中旬にある会合で名鉄犬山ホテルへ行った。
ここに遊園地があった事など知っているのは、60歳過ぎやそれに近い年齢の者だろう。
犬山遊園といったそこへは、子ども会での遠足、小学校3年の遠足で度々訪れたものだ。
犬山線が各務ヶ原線と接続されていなかった頃で、新鵜沼から犬山橋を渡り、川沿いの道を歩いていくのが何時もであった。
遊園は定かではないが昭和34年の伊勢湾台風頃まであったのでは。
ラインパークは廃園までの途中にでき、両公園で遊ぶのが遠足のコースになった。
川沿いの道路に面して入場ゲートがあり、子供の目には巨大に見えたコケシの滑り台がメインとして
建っており、中に小さな電車が走っていた。お猿の電車と称して運転席に猿が乗せられていたような記憶がある。
奥まった所には2階建ての建物があり、「不思議な館」風の凸面、凹面鏡に歪んだ像が映るなど、子供の目には不思議に思える展示物がある建物で、今で思うに学校の校舎を移築したのではとの建物は、何処か少しの恐怖心をかもし出すに十分であった。
当時は城の下の堰は無く、水位は今よりかなり低かった。
犬山橋の下辺りはプロペラ船が轟音を響かせていた。
川を含めその界隈全体が遊園地であった。
18で社会に出て勤めた会社が犬山であった関係で、犬山橋から城にいたる川沿いの道はよく歩いた。
流石にプロペラ船が運航されていた頃と比べ観光地としての賑わいは鈍っていた。
先月はこの道を車で通った。30数年ぶりのことである。
日曜の昼過ぎであったが往来する人も無く、只車が通り過ぎるだけであった。
並んでいた旅館も無くなり、土産物屋であった店舗も白い幕を引いたまま。観光地としての姿は昔日のものであった。
電車で犬山橋からこの駅を通るとき時折そんな昔の風景を思い出す。
駅名の由来など知っている人も少なくなっているだろう。
ある意味貴重な駅名でもある。
近くにラインパークと言う遊園地はあるが、犬山遊園などという処はは何処にもない。
先月の中旬にある会合で名鉄犬山ホテルへ行った。
ここに遊園地があった事など知っているのは、60歳過ぎやそれに近い年齢の者だろう。
犬山遊園といったそこへは、子ども会での遠足、小学校3年の遠足で度々訪れたものだ。
犬山線が各務ヶ原線と接続されていなかった頃で、新鵜沼から犬山橋を渡り、川沿いの道を歩いていくのが何時もであった。
遊園は定かではないが昭和34年の伊勢湾台風頃まであったのでは。
ラインパークは廃園までの途中にでき、両公園で遊ぶのが遠足のコースになった。
川沿いの道路に面して入場ゲートがあり、子供の目には巨大に見えたコケシの滑り台がメインとして
建っており、中に小さな電車が走っていた。お猿の電車と称して運転席に猿が乗せられていたような記憶がある。
奥まった所には2階建ての建物があり、「不思議な館」風の凸面、凹面鏡に歪んだ像が映るなど、子供の目には不思議に思える展示物がある建物で、今で思うに学校の校舎を移築したのではとの建物は、何処か少しの恐怖心をかもし出すに十分であった。
当時は城の下の堰は無く、水位は今よりかなり低かった。
犬山橋の下辺りはプロペラ船が轟音を響かせていた。
川を含めその界隈全体が遊園地であった。
18で社会に出て勤めた会社が犬山であった関係で、犬山橋から城にいたる川沿いの道はよく歩いた。
流石にプロペラ船が運航されていた頃と比べ観光地としての賑わいは鈍っていた。
先月はこの道を車で通った。30数年ぶりのことである。
日曜の昼過ぎであったが往来する人も無く、只車が通り過ぎるだけであった。
並んでいた旅館も無くなり、土産物屋であった店舗も白い幕を引いたまま。観光地としての姿は昔日のものであった。
電車で犬山橋からこの駅を通るとき時折そんな昔の風景を思い出す。
駅名の由来など知っている人も少なくなっているだろう。
ある意味貴重な駅名でもある。
2009年12月13日
年末ジャンボ
年末ジャンボ真最中
期間中は当工房も休みなし
今日も一年ぶりの客あり
塗装を奥まったところで遣っていた。
聞き覚えある大声で呼んでいる
久しぶりの顔、羽島から来る同様な物作りの親父である。
しばしの話の後、風のように去っていった。
「又、一年後にくるからよ!。」と。
昨日は東からの人あり、表の陳列ケース内をシゲシゲと覗く人。
こちらも興味を持ち招きいれしばしの話。
長野県境に近い町に在住の所謂旧車クラブの会長。
名刺に「らばー・こーん」これだけで何の車種が分かるはず。
話題はマツダのシャンテ、今でも愛車であるようだ。
この車、私が免許を取って初めて手に入れた車であり、色々な思いもおある車であった。
ロータリーエンジンを搭載する計画であったが、断念せざるを得なかった逸話を持つ車でもあった。
今様の車と動力性能などは比較にならないが、スタイルなど今も気に入っている車である。
不思議な事に工房へ立ち寄られる方の多くが東濃地方でも東の方である。
不思議な事に、3億など高額当選者の具体的な話を3件ほど聞いている。それが全て東濃地方である。
宝くじ売り場から東から南に掛けての方角である。
それは太陽が昇り中天に至る方角でもある。
私の勝手な思い付きである。
只、神社、神棚は南か東に向けるものである。
もうひとつ川、河の関連が縁起がよいとも言われているようだ。
しかし、今回は岐阜放送の飛び込み生取材、工房脇に置いてある『シル婆―シート、どっこい処』と書き込んだ椅子(強引に押し付けられた廃品を利用、洒落で作った物だが)の事を、投稿された方がありそれが東海ラジオで放送されるなど、何時もと異なったジャンボ期間中である。
期間中は当工房も休みなし
今日も一年ぶりの客あり
塗装を奥まったところで遣っていた。
聞き覚えある大声で呼んでいる
久しぶりの顔、羽島から来る同様な物作りの親父である。
しばしの話の後、風のように去っていった。
「又、一年後にくるからよ!。」と。
昨日は東からの人あり、表の陳列ケース内をシゲシゲと覗く人。
こちらも興味を持ち招きいれしばしの話。
長野県境に近い町に在住の所謂旧車クラブの会長。
名刺に「らばー・こーん」これだけで何の車種が分かるはず。
話題はマツダのシャンテ、今でも愛車であるようだ。
この車、私が免許を取って初めて手に入れた車であり、色々な思いもおある車であった。
ロータリーエンジンを搭載する計画であったが、断念せざるを得なかった逸話を持つ車でもあった。
今様の車と動力性能などは比較にならないが、スタイルなど今も気に入っている車である。
不思議な事に工房へ立ち寄られる方の多くが東濃地方でも東の方である。
不思議な事に、3億など高額当選者の具体的な話を3件ほど聞いている。それが全て東濃地方である。
宝くじ売り場から東から南に掛けての方角である。
それは太陽が昇り中天に至る方角でもある。
私の勝手な思い付きである。
只、神社、神棚は南か東に向けるものである。
もうひとつ川、河の関連が縁起がよいとも言われているようだ。
しかし、今回は岐阜放送の飛び込み生取材、工房脇に置いてある『シル婆―シート、どっこい処』と書き込んだ椅子(強引に押し付けられた廃品を利用、洒落で作った物だが)の事を、投稿された方がありそれが東海ラジオで放送されるなど、何時もと異なったジャンボ期間中である。
2009年12月01日
肺がん
アフリカの或る国では肺ガン患者は居ないそうだ。
それは肺がんになるまでの寿命がないからといわれている。
息子一家と嫁いだ娘一家が来るとき、面白くない事がある。
時折男たちがそそくさと座を外す事があるからだ。
煙草を吸う為である。
煙草ぐらい堂々と吸えヤ!というのが口癖になった。
私は煙草は吸わない、昔は吸っていた。
プラモデル関係の仕事をするようになってから止めた。
もう30年以上になる。
周囲に塗料、シンナーなどがあり、それがために止めた。
親父が亡くなって後、何時も過ごしていた四畳半のガラス戸を掃除した。
黄ばんだガラスに液体洗剤を吹きかけた、すぐにドロと黄ばんだ液体が垂れだした。
こびり付いたニコチンである。
親父は年季の入った煙草のみであった。88歳で逝った。
義父は100歳まで生きた、義母は82歳、明治の初めに生まれた祖母も82歳まで生きた。
共に年季の入った煙草のみであった。
私の親世代の周りの多くの人も年季の入った煙草のみであった。
それらは肺ガンなど全く縁のない丈夫な人たちであった。
不思議な事に煙草を吸わない者は、重病ではないが病院が友達のようだ。
私の親族など狭い範囲の世界の事である。
煙草が肺ガンの大きな原因だといわれている。
私夫婦の間では?????????である。
一つ気になることがある。
健康な煙草のみ達は長い間両切り煙草や刻みを嗜んでいた。
フィルター近くまでか不注意でフィルターまで着火した状態で煙草を吸ったことがある。
それは化学製品の燃えるような、なんともいえない味である。
親父がフィルター付の煙草に変えたのは、その形式の煙草が出てから随分たってからである。
「こんなナルイ(弱い)煙草など吸えるか!。」であったからである。
それでも体のためにと切り替えたときには、体から煙草の臭いを発散し肺の中は真っ黒の状態であっただろう。今更と言うのが適切であったはず。
煙草の葉は植物である。
フィルターは化学物質であるはず。同じ化学物質のプラスティックが熱に犯されたとき人間の体に悪いだろうと思われる物が、発散される事は仕事柄知っている。
体に悪いニコチンを除去するフィルターは本当に影響がないのだろうか、素人は疑問を持つ。
先日テレビで肺がんの原因に占める煙草の影響の割合は、言われるほどの多さではないと言っていた。
又、原因は分からないが女性の患者が多いとも言っていた。
男と女。確実に異なる環境にある。
女は男と比べ物にならないほど異物質を吸い込む環境にある。
女性の社会進出度が高くなればなるほど、それも高くなる。又、農耕民族は低いと思う。
それからすると中国の女性の中では急速に多くなると思う。
秋田県の比率が高いか低いかが興味あるが、そんな事は専門化の領域である。
それが何かであるが、素人の考えであり真偽など不明であるが、それは日本なら図世界中の女性をパニックに陥れ、ある業種が消えるほどの壊滅的な影響を及ぼす事は明白な事でらる。
それはそれとして、四方八方禁煙、嫌煙、キレイ過ぎが好きな昨今の日本。
煙草一本の楽しみも、我慢をし、遠慮しつつではストレスが溜まるであろう。
溜まるストレス、やはり煙草は体に悪いようだ。
息子達に言ってやろう。
「冬の蛍ども。」
「健康のためにタバコの我慢し過ぎには注意を。」と。
それは肺がんになるまでの寿命がないからといわれている。
息子一家と嫁いだ娘一家が来るとき、面白くない事がある。
時折男たちがそそくさと座を外す事があるからだ。
煙草を吸う為である。
煙草ぐらい堂々と吸えヤ!というのが口癖になった。
私は煙草は吸わない、昔は吸っていた。
プラモデル関係の仕事をするようになってから止めた。
もう30年以上になる。
周囲に塗料、シンナーなどがあり、それがために止めた。
親父が亡くなって後、何時も過ごしていた四畳半のガラス戸を掃除した。
黄ばんだガラスに液体洗剤を吹きかけた、すぐにドロと黄ばんだ液体が垂れだした。
こびり付いたニコチンである。
親父は年季の入った煙草のみであった。88歳で逝った。
義父は100歳まで生きた、義母は82歳、明治の初めに生まれた祖母も82歳まで生きた。
共に年季の入った煙草のみであった。
私の親世代の周りの多くの人も年季の入った煙草のみであった。
それらは肺ガンなど全く縁のない丈夫な人たちであった。
不思議な事に煙草を吸わない者は、重病ではないが病院が友達のようだ。
私の親族など狭い範囲の世界の事である。
煙草が肺ガンの大きな原因だといわれている。
私夫婦の間では?????????である。
一つ気になることがある。
健康な煙草のみ達は長い間両切り煙草や刻みを嗜んでいた。
フィルター近くまでか不注意でフィルターまで着火した状態で煙草を吸ったことがある。
それは化学製品の燃えるような、なんともいえない味である。
親父がフィルター付の煙草に変えたのは、その形式の煙草が出てから随分たってからである。
「こんなナルイ(弱い)煙草など吸えるか!。」であったからである。
それでも体のためにと切り替えたときには、体から煙草の臭いを発散し肺の中は真っ黒の状態であっただろう。今更と言うのが適切であったはず。
煙草の葉は植物である。
フィルターは化学物質であるはず。同じ化学物質のプラスティックが熱に犯されたとき人間の体に悪いだろうと思われる物が、発散される事は仕事柄知っている。
体に悪いニコチンを除去するフィルターは本当に影響がないのだろうか、素人は疑問を持つ。
先日テレビで肺がんの原因に占める煙草の影響の割合は、言われるほどの多さではないと言っていた。
又、原因は分からないが女性の患者が多いとも言っていた。
男と女。確実に異なる環境にある。
女は男と比べ物にならないほど異物質を吸い込む環境にある。
女性の社会進出度が高くなればなるほど、それも高くなる。又、農耕民族は低いと思う。
それからすると中国の女性の中では急速に多くなると思う。
秋田県の比率が高いか低いかが興味あるが、そんな事は専門化の領域である。
それが何かであるが、素人の考えであり真偽など不明であるが、それは日本なら図世界中の女性をパニックに陥れ、ある業種が消えるほどの壊滅的な影響を及ぼす事は明白な事でらる。
それはそれとして、四方八方禁煙、嫌煙、キレイ過ぎが好きな昨今の日本。
煙草一本の楽しみも、我慢をし、遠慮しつつではストレスが溜まるであろう。
溜まるストレス、やはり煙草は体に悪いようだ。
息子達に言ってやろう。
「冬の蛍ども。」
「健康のためにタバコの我慢し過ぎには注意を。」と。
2009年11月23日
リンゴちゃん

零細企業には勤労感謝の日はし無関係である。
昨年の今頃は糖尿治療での入院から退院し、12月初めの白内障手術のため名古屋の病院へ入院の間であった。
其の為、今年の勤労感謝の日は、働ける仕合せをことの外かみ締めている。
未だ薬漬けの日々ではあるが、働ける事はよい。
アイデアは色々と湧き出てくるが、形まで纏める事が大変である。
多分に思いつきという企画から、製品化、PR、販売まで全て行う事は大変であるが楽しさもある。
それはある種の中毒でもある。
そんな日々の中で出来たのが、我が家のオリジナルキャラクター(それほど大袈裟な物ではないが)である。
リンゴをモチーフにした「リンゴちゃん」である。
携帯ストラップにした。
ストラップでは弱い為省いてあるが本当は頭に緑の葉っぱが付いている。
明日から年末ジャンボ宝くじの発売。
駐車場より売り場までの途中にある、工房前に何時ものように並べる、今回は何個のリンゴちゃんが旅立っていくのか。
2009年11月20日
蜂

蜂が低いところに巣を作る年は、風が吹く。
昔から聞いていた事である。
春先から足長蜂がよく飛んできた。
「こんなところに蜂が巣を作っている。」
庭の片隅においてある小さな物の裏に、それを見つけた家内の声。
台風が来ないまま二百二十日も過ぎ、今年も台風の季節が過ぎたと安堵の中、少し季節はずれの台風が来た。
先日、家の裏に行った。
一階の軒下、僅かな囲いの裏側に幾つもの空になった蜂の巣。
既に幾つかは家内が落としていたが、写真を撮った。
風の当たらない場所の蜂の巣。
彼らはやはり知っていた。
1日前でもその進路にやきもきしている人間は、無力なものである。
2009年11月06日
宮崎駿と坂の上の雲
普段よく頭の中で言葉遊びを遣っている。
思いついた言葉から別のものを連想したり、妙なアレンジをしたりしている。
会社勤め時代、小さな会社であったので商品開発から宣伝まで担当していた。
其の為広告用のキャッチコピーも考えなくてはならなかった。
そんな必要に迫られ言葉遊びを始めたのである。
言葉遊びの中から、時にそこからアレと思うようなことが湧き上がってくる。
そんな中で「いつかのクラウン」という言葉を思いつき、観音開きのクラウンの模型に使った。
その後その言葉は車の雑誌等で見かけることが時々あるが、そんな時少し自分の中で自慢をしている。
昨日も傍らにおいてある本のタイトルを見ていて「オヤ?」。
「坂の上の雲」「坂の上の雲」「坂の上の雲」・・・・このテンポ何処かで聞いたことがある。
「坂の上の雲」「坂の上の雲」・・・・「崖の上のポニョ」
宮崎駿氏は戦記物に興味のある人である「坂の上の雲」を知っておられないはずがない。
思いついた言葉から別のものを連想したり、妙なアレンジをしたりしている。
会社勤め時代、小さな会社であったので商品開発から宣伝まで担当していた。
其の為広告用のキャッチコピーも考えなくてはならなかった。
そんな必要に迫られ言葉遊びを始めたのである。
言葉遊びの中から、時にそこからアレと思うようなことが湧き上がってくる。
そんな中で「いつかのクラウン」という言葉を思いつき、観音開きのクラウンの模型に使った。
その後その言葉は車の雑誌等で見かけることが時々あるが、そんな時少し自分の中で自慢をしている。
昨日も傍らにおいてある本のタイトルを見ていて「オヤ?」。
「坂の上の雲」「坂の上の雲」「坂の上の雲」・・・・このテンポ何処かで聞いたことがある。
「坂の上の雲」「坂の上の雲」・・・・「崖の上のポニョ」
宮崎駿氏は戦記物に興味のある人である「坂の上の雲」を知っておられないはずがない。
2009年11月05日
僕
重箱の隅を突く。
いい歳をして自分のことを人前で「僕」と言うことは、我々の年代では恥ずかしい事の一つであった。
仲間内ではまだしも、宮仕えの世界では尚更通用する事ではなかった。
昨今、私の歳よりも上の年代の人達の口からも「僕」という言葉をよく耳にする。
特に先生と呼ばれる人達のそれを聞くと、何となく色々と軽く感じる。
別に威厳が如何のこうのと言うほどの事ではないが。
そういえば、宮仕えの経験があり「私」という言葉を遣っていた先生もいたな。
「私は、、あなたと違うんです!。」とか
いい歳をして自分のことを人前で「僕」と言うことは、我々の年代では恥ずかしい事の一つであった。
仲間内ではまだしも、宮仕えの世界では尚更通用する事ではなかった。
昨今、私の歳よりも上の年代の人達の口からも「僕」という言葉をよく耳にする。
特に先生と呼ばれる人達のそれを聞くと、何となく色々と軽く感じる。
別に威厳が如何のこうのと言うほどの事ではないが。
そういえば、宮仕えの経験があり「私」という言葉を遣っていた先生もいたな。
「私は、、あなたと違うんです!。」とか
2009年11月01日
木曽川堤防にて

昨年の今頃は退院直後であった。
初めての入院生活11日ほどであった。
朝6時の起床から遅くとも9時の就寝という規則正しい生活であった。
入院時320越えの血糖値も薬服用中であるが正常値に下がった。
完治には2年ほど掛かるらしく、今は半ばである。
この1年で確実に脚力が落ちている。
まだ家どの運動は控えるようにとの指示の下、軽く歩く事にしている。
ノルマを課して歩く、これほど体に悪い事はないと都合の良い考えは何時もの如し。
日差しのある午後に仕事場の近くの木曽川堤防を歩いている。
距離は片道500mほど、嘗めたように短い距離であるが、今の体力には丁度の距離である。
1週間ほど前のこと、ここの処めっきり水量が減りやせ細った木曽川を横目に歩いた。
減水量のお陰で川底の様子が普段より露呈しており、合間に書き連ねている『太田宿』についての話、それに関連しての木曽川の?が読み取れそうである。
その日松ヶ瀬と言われる瀬の辺りに小船が浮いているのを発見、肉眼ではっきり分からずデジカメのズームを望遠鏡代わりにしてカヌーと確認。
その時の画像である。
優雅ですな~。
もうまもなく寒気の季節、歩く場所を変えなくては。
それを口実に「今日はいいか」「今日もいいか」「やっぱ今日もヤメとこ」になりそうな予感。


